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(国東半島の不思議な話)店主ルーツを探る旅

一昨日、福岡県の大分側築上郡のイベントに参加しました。
せっかくの機会なので亡き父の生家が今はどうなっているのか?
確認に行こうと考えました。
父は大分県国東半島の生まれです。

国東半島は、大分県北東に突き出ています。

半島内は鉄道が通っておらず、車で半島外側を周るしか移動手段がありません。更に父の生家は国東市という半島の外周中央部分で、福岡、大分どちらからでも半島を半周しなくてはたどり着けません。前日、大分県と福岡県の境の街『中津市』に泊まり早朝国東市を目指しました。

鋭く尖った山並みが続くのが国東半島の特徴です。

その神秘的な風景からか、国東半島は宗教地としても有名です。


不思議なトンネルを抜けると

国東市に入りました。

標識が示す通り、国東市は日本人で初めてエルサレムを訪れた司祭『ペトロ 岐部』の出身地でもあるそうです。

近隣の方に教えていただいて、辿りついた父の生家跡がこちらです。

草木が生い茂り、家があった痕跡が全く分かりません。父自身も小さい時に、ここ国東市から城下町杵築市に引っ越しています。それを考えると80年以上経過した状態ですね。

次に、以前父から「祖父が奉納した鳥居が『影』という漁村にある」という話を聞いていたので『影』というところに移動しました。

国東半島の更に先端です。
ギリギリ車がすれ違える小道を進みます。

数軒の家並みを過ぎると

小さな港に出ました。

港の脇に神社がありました。

神社前に鳥居があるのですが

海風で削れてしまっており、彫ってある字が全く読み取れません。
全て徒労に終わったのか
と残念に思っていると、お家からお婆さんが出てこられました。(黄色の変な車が来たのです。不思議に思われたのでしょう。)
その方に祖父の詳細を話すと
「知っとるよ。小学校の脇の家だったよ。その家の奥に大きな洋裁学校があったよ。あんたそこのお孫さん?懐かしいなぁ。あんたのお爺さんは優しくて面倒見の良い人だったよ」とお話しされ、びっくり!
父が生きているとしたら90歳以上です。あのお婆さんはお幾つだったのでしょうか?
流石にお婆さんは祖父が奉納した鳥居の話はご存じありませんでした。
しかし、全てが忘れ去られる前にお婆さんのお話が聞けて感動しました。
その旨を関東にいる兄弟に報告すると
「普通、そんな都合よくいくわけないよ。導かれたんだろうね」との返事が返ってきました。
不思議な土地の不思議な体験でした。

帰り道、道路沿いの丘に大きなキリスト像があり、またビックリ!

上記した『ペトロ 岐部』の記念碑でした。

神道・仏教・キリスト教と多種の宗教が交わる国東半島に驚くばかりです。

興奮治まらぬその足で、小倉にある父の墓へ報告に行きました。


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