行けないと、行きたい
トイレのこと?みたいなタイトルになってしまったw
行きたいのはトイレではなく、海外。
しかも台湾にものすごく行きたい〜とこの夏先になってきて思う。
コロナが流行る半年前の2019年の夏、初めてひとり台湾旅行へでかけた。
その半年くらい前から、例えようがないくらい最低最悪でこんな人生きててみたことないくらい悪!ていうおばさんに仕事で振り回されていた。
私が担当して作ってきた仕事の成果を、さも自分が全て作りましたみたいな顔して、全スタッフの前で発表したり、間に合うから大丈夫!とか言って遊んでたのに、締め切りギリギリで「こんなの無理なんだけど、出来ない」と言われ、なぜか私が徹夜で仕上げなくてはいけないという苦行の数々の真っ只中にいた。
そんな毎日が続くわけもなく心と身体が、限界も限界に近づいた時、ふと「そうだ、台湾に行こう!」と思い立って、ものすごい勢いで飛行機のチケットを予約し、ホテルをとり、自分でもびっくりするくらいの行動力でぎゃーぎゃー文句を言うおばさんを無視して、準備をしていった。
出発前、ものすごいケンカ腰で私の仕事は引き継がないときっぱり言われたので、パソコンを持って行くことにした。今はインターネッツさえあれば、どこでも仕事できることをご存知ないのだろう。上司だった男性陣もこれにはドン引いていた。
そして、当日。出発するのは朝早い便だったので、夜のうちに空港でビバークすることにした。
夜の飛行場を飛行機を眺めながら風にふかれていると、やっと自由になれた安心感と少しの間だけ仕事のことから離れられる開放感で、なんだか涙が出てきたのを覚えている。本当は辛かったんだなとここで改めて自分の気持ちに気づけた。
台湾はもう最高で、1週間かけて台北と高雄の2つの都市を周り、もちろん台湾の美術館やアート地区と呼ばれる古い建物をギャラリーやアートショップなどに改装した施設などもまわった。いろんな出会いもあり、ご飯もおいしくて、思っていたよりも充実したとても良い旅になった。また時間があれば旅日記も書きたいがきっとそれはとても長くなると思うw
そして、その旅を通してというか、もう出発前の飛行機を見ていた時にこころは決まってたんだと思うが、帰ってきてからすぐ仕事辞めますと上司に報告した。
ところが、わたし以外にちゃんと仕事できる人がおばさんも含めおらず、もう少しだけ頑張ってくれと言われてしまう。それならと、お給料を内緒で30%増しにしてもらい、おばさんからの伝言は上司を通して連絡をしてもらうことを条件に残ることにした。(言った言わない、聞いた聞いてないがひどく、急に勝手にルールを作るなど、何か不都合があると全部わたしのせいにされていたため笑)
その後、コロナが流行し、全員リモートワークになり交流が最小限で済んだことと、新しい人が入ってきておばさんの下についたため(かわいそう…)標的がわたしからはずれたことでなんとか気持ち的にもっていた気がする。それでも仕事ができない人の集まりだったため辞めるまでに1年を要した。今の社会のモラルやルールだからと会社側からおばさんに辞めてほしいとは言えないんだそうだ、恐ろしい。訴えたらお金もらえそうなレベルで悪夢だったw
昨年末にやっと会社から離れることができた。今は新しい職場でものすごく充実した毎日を送っている。おばさんのこともそういえばそんなこともあったなーくらいに思えるほど。幸せな頭で良かったw
今のこの季節の、生あったかい風の匂いや、突然のスコールのような雨、湿気を多く含んだむむーんとした空気に包まれると、台湾を思い出して恋しくなってしまう。あの日の空港で感じた自由と開放感は、あの日にしか味わえなかったんじゃないかと思う。
それを確かめる意味でも、もう一度台湾へ行きたいのに。
行けない。。。。
変わりに、台湾に住む日本人のブログやインスタをチェックする日々。
このあいだは、銭湯へ行く途中に、ヂェン先生という有名な台湾のデザイナーさんの日常着展というのがPOP UP開催されていて思わずお店に飛び込んだ。
色も布も全て天然のものでできていて肌に優しく作りも丈夫なのか20年くらいは着られるらしい。
とても素敵でふかーい森の奥みたいなみどり色のトップスを1枚、購入した。
台湾に行く時に着ていこうと思う。
藤井保さんの写真のようで素敵なポストカード
わたしが台湾に行きたい思いをしているように、きっとどこかのお気に入りの街のことを思って過ごしている人もたくさんいるだろう。
世界中どこにでも行ける日が来るのが待ち遠しい。
あと少しのしんぼうだと、とても嬉しい。
台湾では、みんな夜ごはんは夜市に食べにいくのだけど、その夜市がまた日本でいうお祭りの屋台みたいで歩いているだけで楽しい。
その時の気持ちを思い出して、台湾夜市に咲く花を描いてみたのを今日の一枚に。