自由記述欄

ちゃんと復讐をしなきゃいけないんじゃないかというふうに思っている。
思っているというのは、復讐しなきゃいけないんじゃないかという本来はこうあるべき論であって、実際に復讐をすることではない。
というのも、千と千尋の大団円で、千尋が湯婆婆たちに全く怒りを示さないがごとく、何か弱い側が被害とか、あるいは利益からの排除を受けていたとしても、それは忘れて自分のすべきことをすることが美徳とされる今日この頃だと思い出したからである。

僕は水に流せないたちだ。まあ普段は忘れている。忘れなければ生活ができない。だが本当に忘れるなんてそんなバカなことがあるか。責任取るべきやつがちゃんと責任取って、そして過去の過ちとして記憶して再発防止措置を講じるべきだ。

まあそういう話が多いなと思う。間違った作為に関しても間違った不作為に関しても、後からちゃんと追及しなきゃダメだ。で、それは個人にとってもそうだ。みんな人を簡単に許しすぎだと思う。表面的にはしょうがない部分はある。なあなあにしないと生きていけない場面はあるから。ただ、本当に被害や抑圧、助けてくれなかったことを忘れてしまって良いわけがない。それをした人間、あるいはしてくれなかった人間を簡単に許して良いわけがない。その表裏一体で、みんな人に許してもらうことに対して軽く考えすぎ。許すってそんな簡単なことではない。どれだけ謝罪しても許さないなら許さない。で、それが過剰な怒りだと思えば、そういうケースであれば逆に怒り返しても良い。世の中本来そういう対立の渦のはずだ。平和はいつだって仮の姿だ。
何かをしてもらうことを当然だと考えてるやつも多すぎる。サッカーボールを蹴ったら遠くに飛んだ。誰かの近くに飛んだ。僕の近くに飛んできた。なぜそれをわざわざこの僕がお前なんかのために蹴り返してやらなきゃならないんだ。お前とは確かに同じ高校の同学年かもしれないが一回もクラス一緒になったことがない、喋ったこともない関係じゃないか。お前が蹴ったボールなんだからお前が走って取りに来い。俺を煩わせるな。とは言わなかったが実際蹴らなかったし、態度では示した。クラスメートに対する横柄さが原因で少なからぬ人から嫌われていて、学年の中でかなり成績が低かったらしい彼はなんで取らねえんだよとボソボソつぶやいていたが、つぶやくしかできない無力な男の後ろ姿は滑稽だった。近くにいた友達に上のような思考内容を伝えたら即座に支持してくれた。マトモな友達がいて幸せだ。

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