見出し画像

「エバースが今年は優勝です」という病

令和ロマンのYouTubeを観て、コメント欄を見てみると、今年のm-1はエバースがもらいましたよ!みたいなコメントが散見される。エバースが面白いコンビだということはわかるし、もちろん誰が優勝するかなんてわからないのだから、そういうコメントがあること自体は理解できなくはない。ただ、なぜそれを令和ロマンのチャンネルに書き込んでいるのかという点は少し気になる。そして、m-1のエバースが出ている3回戦動画にも、今年はエバース本当に行くかもな〜、みたいなコメントが半分くらいを占めていて、これも気になる。

エバースがYouTubeをやっているか知らないが、そこに書き込むなら自然だ。しかし、エバースファン以外も多く観るであろう動画にエバース優勝するだろうなとコメントするのは、湧き上がる感想ではなく意識的な主張である。しかしこれは変な話だ。エバース本人たちが絶対優勝するぞと意気込むのはわかる。それを陰に陽に示すこともわかる。しかし、ファンがコメントするというのは一体どういう話なのか。しかも、文体が独特だ。エバースに優勝して欲しいとか、エバース面白いから優勝するかもとかじゃなくて、エバースが優勝です、エバース優勝するだろうな、という文体が選択されている。さあこれはなんなんだろう。

はっきり言って、これは令和ロマンに対するルサンチマンの噴出に他ならない。令和ロマンは2人とも慶應出身で、史上最短芸歴でm-1を優勝したという経歴を持つ。令和ロマンが優勝したことによって、傷ついた人たちがいたのだろう。お笑いは学歴と無関係に社会的にプロモーションできる手段ではなかったか、と。それなのに学歴でも優れている人間がお笑いでも速攻で結果を出してしまった、と。
こんな話は別にどうでもいいことだ。慶應出身の令和ロマンがm-1を最短芸歴で優勝したからといって、低学歴のお笑いファンが負い目を感じることなど何もないはずだ。ただファンとして、自分の好きな芸人のネタを観ていれば良いだけだ。しかし、お笑い芸人の苦労話とそこからの人生逆転みたいなエピソードが人口に膾炙しているために、一部のお笑いファンは自分の人生を芸人に投影して、芸人の逆転成功を自分のことのように享受することがある。2024年においては、お笑いファンが自分を投影しやすい芸人、自分の代わりに逆転勝利してくれそうな芸人としてエバースが選択されているのだろう。だから、エバースが優勝もらいますよ、というまるで自分ごとのような表現や、エバース優勝だろうな、という単なる自分の願望を客観的な事実であるようにでっち上げる表現が使われるのだ。

では、どうすればこういうコメントをしない人間にならずに済むのか。あるいは、そこから抜け出せるのか。
それは、自分の人生に集中することである。芸人が勝つことに希望を託すんじゃなくて、自分が勝つことを目指すべきだ。他人に依存すれば自分のタスクが減るからそれ自体楽に感じるし、状況が悪化した時に他人のせいにできるからそこでも楽だけど、実際にはそれは自分で破滅への道を選んでいるだけだ。
ちゃんと勝ちを目指せ。

いいなと思ったら応援しよう!