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わたしたちは今日も、与えられた  「役割」を演じる。

なんと先日、私は世紀の大発見をしました。(今回は実利的なお話になりそう!)


ある日のサークルでの出来事。


私の同級生(3年)の男の子Aくんとご飯を食べ、その足で私のサークルに向かおうとしたら、Aくんが暇だったので、なんと付いてくると言い出しました。


若干困ったものの、それはそれで面白そうだと思い、

「じゃサークル来ちゃいなよ」とジャニーさん並みに声をかけ、


「Aくんを1年生の男の子」だと設定して、いざサークルに潜入することに。



コートに着くと、私の同級生男子2人いたので、4人でお話をしました。

その時の設定上の内訳は、新入生1人・大学3年生3人(本当は全員大学3年生🙄)


そこで、Aくんは順調に後輩っぽく話し、同期男子は先輩っぽく話しを進めていきます。


そこで、面白かったのが、


「本当にAくんが大学1年生に見えた」ということ。



話し方、振る舞いが1年生のそれそのものでしたし、何より、私たちが「3年」である、と認識して「先輩」を演じていたからこその帰結だったのだと思います。もしAくんが、「OBさん」という設定なら、また別の振る舞いを私たちはしていたことでしょう。


Aくんもまた、私が「頼りがいのある先輩」として見えたそうです。



ここで、一つ明確に気づきました。


人は、与えられた、もしくは受容している「役割」を演じているのだと。



つまり自分が、ある立場や役割を演じることで、自然とそれっぽくなり、それを見た周囲も、その人を「それっぽく」認識するんです。


もし自分の憧れの像があるなら、振る舞いや言葉、話し方や格好を少し取り入れてみると、一歩近づけるかもしれない。なぜなら本当の「自分」なんてものは錯覚・虚像であり、実は簡単にイメージコントロールができるのかもしれないからです。

というそれっぽい示唆を託して終わりにします。


最後まで読んでくださったあなた!ありがとう🥰

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