非凡的なカルチャー
季節の花が咲く
いつもと違う帰り道
焼きたてのホットケーキ
寂しいをさみしいと書いた夜のこと
「飽きるまで、そばにいてね」
これ以上はないと思うほど愛おしい人のことだって平気で傷つけてしまった夜のこと
今でも毎日思い出していて、通知が鳴るたびにただ単純に会いたいと思っている
そういう夜のこと、さみしいって言うんだと思う
私たちは今、エモいとかチルいとか、そういう言葉にまとめられてしまうようなこの時代に生きている
でも私は、とっくにそういう言葉すら通り越したくすぐったさを、
手のひらの体温だけで伝えたいとも思っていて
それは言葉にすることを諦めた傲慢さなのかもしれないし、言葉にすることで変わってしまうことを恐れる臆病さなのかもしれない
きっと運命の恋にも終わりがあって、一生の友すら傷つけちゃって、確かに、誰かに縋ったりしなくたっていつも日常は流れていくんだろうと思う
それでも、「切り替えが早い」なんてごまかせなかった胸の痛みを知っていて
だからわたしはここで
君の存在を確かめるようにいつも愛している
「これを、夏と呼びたいわけで」
夏と夏の間に透明な水平線が流れていく、それをひとは風と見間違う
真っ直ぐなものはいつだって勘違いされる、ひとは間違ったものの方を正解だと思いたがるから
ぼくはここにいるよ、ということが、どれだけ神聖なことで、どれだけ難解なことか
ぼくはここにいるよ、と言えるようになるまで、どれだけ曲がりくねった道を歩いたことか
積み重ねてきた複雑骨折のような愛が自殺をする、赤く染まったアスファルトがぼくたちのパレットに描いた関係性の色のようで目眩がした、
夏は、夏は、そういう季節。
「あのね、伝え忘れてたんだけど」
「生きづらさ」を抱えたあのころ
思えば言葉を知ることで、なんとか陽のあたる場所へ顔を近づけることができたように思います
あのとき、私にとって「言葉を知ること」は、けっして雄弁に語るためや、優れた文章を書くことだけが目的ではなく
「第三の目を養う」ことでした
第三の目は、自分のなかに別の視点や新しい見解をもたらし、
少しでも生きくやすくなるような方角を探すコンパスになります
自分の置かれた状況が悲惨なものだったとしても、その状況を何か別のものに置き換えて
闇のなかで取り乱しながらも、握りしめたコンパスであの星を見つけることができたのです
そうであると信じてきたし、そう努めてきたのだ。苦しいほどに。
「そうだ、なんでもないよ」
時折きみは、きみが空っぽであることを嘆いていた
少し考えて
「空っぽ」がなくなったとき、人間でいることはとても淋しいこと
なんだと私は返した
言葉を知ることは、心の倉庫に言葉を仕入れることとも言える
だからこそ私は、「自分の中に空っぽがあること」を大切にしたい
心が苦しいとき、虚しいとき、自分のなかに空っぽがたくさんできたら、言葉を仕入れてみたい。きみにもそうしてほしいと思う
本を読む、人と話す、音楽を聞く、なんでもいいのでしょう
時間的余裕、経済的余裕がない時でも、言葉は無料で即日仕入れることができるからです
なんにもする気がおきないときは、沈黙することだって
沈黙だって言葉なのです
お金がなくても、時間がなくても、自信がなくても、どんなに困難な状況にいても
言葉の仕入れは誰にだってできるし、自分で気づいてなくても実は無意識下に仕入れられてるもので
あとは、言葉倉庫の在庫管理だけ気をつけておけば、いつか必ずその言葉たちが豊かさに出会う出番がやってきます
私は、その経験者ですから
「飽きたりなんか、しないでね」
青い若葉が青空に溶けそうで、季節の温度くらいできれいなものを溶かせるのなら、わたしはきみの夏になってやろうと決めた
「言葉は、メッセージカードのようなものよ」
一枚一枚に、自分の思いを書きつける。とっておくもよし、日々眺めるのもよし
必要なくなれば、破っても燃やしてもいい。死ぬまでずっと、心にしまっておいてもいい
でも、誰かの目に、耳に触れれば、なおいいだろう。誰かに伝えられれば、なおすばらしいだろう。思いを共有できることもあるかもしれない。心と心を、響き合わせることもできるかもしれない。
それがどんなに小さな星だとしても、
わたしはきみのことを想ってコンパスを握り続けるのです