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言葉の怖さ
コロナになってから人々の不安や不満が募ったせいかSNSで辛辣なコメントをよく目にするようになった。そして、そんなコメントを受け取った人の中にはこの世を去ってしまった人もいた。とても悲しい。こんな状況下なのになぜみんなで協力しようとしないのか理解し難い。
『2個目にして結構センシティブな内容です。苦手な人は読まないでください。』
私はこれは目に見えない集団いじめだと思っている。私自身軽いいじめにあったことがあるので少し話そうと思う。
小学生低学年の頃のことだ。私は、地元の公立小学校に通っていた。私は、早生まれでおまけに発育が遅かったため他の子より2テンポ3テンポ遅く幼稚園の頃は常に隣に先生がついていた。しかし幼稚園児だった私は横にいる先生に頼りっぱなしだった。そのため小学校に入った時は、みんなについて行くのに必死だった。輪を乱さないように頑張ったがどうしても人より少し遅かった。そして入学して3ヶ月ぐらいにターゲットにされてしまった。自由帳に勝手に落書きされて捨てられてたり、1度男の子にぶん殴られたこともあった。私は、みんなより行動が少し遅くどんくさいからこうなっていること知っていた。そのためこうなっても仕方ないと思っていたし、こいつらは非常識なガキと割り切っていたのでなんとか耐えられた。
しかし1番辛かったのは担任に助けを求めた時だった。
先生はイライラしながらこうに言った。「あなたが全て悪いの。あの子たち(いじめっ子)は何も悪くない。何にも出来ないし遅いからいじめられるんでしょ?輪を乱す存在なんだから。そんなことも分からないの?自分で何とかしなさい。」と言った。今考えればその通りだったかもしれない。でも意を決して先生にSOSをだしたのに、お前は居ちゃいけないんだよと存在を全否定されたのが衝撃的すぎて、8歳にして本気で消えてなくなりたいと思った。もう誰も必要としてくれてないんだ。心を一刀両断され、殴られるよりも辛かった。そのトラウマもあって今だに初対面の大人にはやけに警戒してしまう。
妹の世話に付きっきりだった母親には迷惑かけたくなくて男の子にぶん殴られる前まではずっと隠して毎日通っていた。バレた後は母親がすぐ学校に言いつけて殴った男の子はもういじめないと約束して守ってくれた。たまに母親が観察に来ていたため他の子もいじめなくなった。
個人的には、子供たちに何度もやられたことより大人からの1回の冷たいコメントの方がダメージが半端なく大きかった。
何が言いたいかと言うと、冷たい言葉、相手を思って無い言葉は尋常じゃないほど傷つく。傷跡は一生心に残ってしまうし私のようにトラウマという後遺症を発症することもある。自分は居ちゃいけない人間なのかなと思ってしまう。最悪の場合、その言葉1つで誰かの人生を奪ってしまうこともありえるのだ。
だからムカついてるからって誹謗中傷を書きこんだり、人格を否定するようなことは言わないでほしい。取り返しのつかなくなる前にどうか1度冷静になって考えてから何かを言ってほしい。
そして私のようになってほしくない。