読書道No.0001「ソウル・オブ・マネー」⑨第9章 "立場をとる"と地球は動く
(1)ダンマプリの女性グループの話(P.234~241)
ここで最も印象的だったのは、何らかの忌まわしいサイクル・その渦中にあり”それはそうと決まっている”と思いこんでいる時、最も必要なものは「外部者の目と耳」であるという事でした。
それは"それはそうとは決まっていない"という、彼らの常識の破壊であり、しん・常識の介入であり、救いの光になるという事です。
それは"異常事態と変革"の目撃者がいることで、未来のために変えざる得ないと立場をとることになるのだなと思いました。
一見すれば何もしていないただの外部者ですが、彼女らが立場をとるための足場としての役目を果たすことが、いかに貴重で重要な役割であるかを感じました。
(2)北京女性会議に立つ女性たちの話(P.242~245)
ここで最も印象的だったのは、1995年に開かれた第四回・女性に関する世界会議(通称:北京女性会議)において登壇した女性たちが、いかに自身の苦しみ次世代のために断ち切ると決意・行動したという事です。
それこそ、公的な支援も大きな支援者もない中で、自分の中にあるものを表現し捧げるために、ありとあらゆる障害を乗り越えてきた事実がそこに書かれていました。
(3)花嫁放火事件の被害女性の話(P.246~249)
それはお金が招いた悲劇ではありません。それは欠乏の価値観が生んだ人間の業でした。それが、ただお金の問題という姿を借りて出てきたものであって、充足に目を向けられず欠乏に囚われた人間へのシグナルだったように思います。
それは決して遠い国の話でもなく、見知らぬだれかの話でもありません。
「稼ぐ」という点に意識が向いているのは「欠乏」の証だと感じました。
何のために稼ぐのか、その夢を明確に示せているか?それを持たない行動は欠乏への恐れから来ているのではないか?
そう振り返る責任を個々が持つことは、決して特別なことではないのだと思います。
(4)わたしの違和感と考察
「女性のパワー」「女性の素晴らしさ」が描かれる一方で、「男性そのもの」のパワーや素晴らしさを目にする機会が、圧倒的に少ないように思います。(少なくとも私はそのような書籍を知りません)
そこで考察して浮かんだワードが「男性性は太陽」「女性性は月」で、太陽は自らが輝く恒星、月はその光を受けて輝く惑星であることです。
男性性は単体で力を発揮する発信機で、女性性はその力を受け取る受信機の性質があると考えています。
女性性が必要とする力を受信することが、循環を作り、男性性を生かすことになるのではないか。故にまずは「女性」という受信機を稼働させ、流れ・巡る動きを加速させようとしているのではないか、既に次のステージにすすんでいる人たちからのメッセージと思えてならないのです。
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