ダメ社員、令和初出社をトチる
要領の悪さで筆者の右に出る者はいないと思う。
筆者は筋金入りのダメ社員である。
しかし、勘違いしてもらっては困るが、仕事をサボりもしないし、テキトーにしたりもしない。常に全力投球。白球を追いかける球児のようにすがすがしく仕事をしている。
先日、筆者の仕事について「象牙を密輸入し、反捕鯨団体に売りさばいている」と虚偽の説明をした。筆者の文章は正しい日本語とあふれ出る教養で構成されている。そのため、信頼性がとても高いメディアということでおなじみである。すなわち、多くの読者をだましてしまったことになる。猛烈に反省している。2日目に書いた「首都高の菅原文太」では、何かものを売るような仕事をしているような記述をした。あれは自分の素性が露見するのが怖かったからだ。そもそも、当時のフォロワーは3人くらい。そんな心配をする必要はまるでなかったが、自意識過剰な筆者はSNSで炎上することを恐れ、謎の嘘をついてしまった。だまされた諸君には謝罪はするが、自らのリテラシーの無さを悔やんでほしい。
なんでこんなことを言い出したかというと、筆者の仕事をきちんと説明しなければ、本稿がなかなか理解されないと思ったからだ。
というのも、筆者は会社員としてクリエイティブ系の仕事に従事している。色んなものをデザインしたり、文章を書いてみたり、校閲作業をしてみたり、画を描いてみたり、写真を撮ってみたり、動画を編集してみたり…。フリーランスでも出来る仕事だが、借金をたくさん作ってしまったので務め人を辞められないのだ。そのため、筆者は基本的に休みが無い。こんなことを言っていると「いやいや、自分のペースで仕事できていいじゃん」とよく勘違いされるが、モノを作る人には休みがないのだ。なぜなら、納期に間に合わせなければならないからである。「折り紙のつるを一羽折って下さい」とかだったら一瞬で終わるし、アフターファイブも充実するだろう。しかし、現実には様々な部署との調整の上、成果物を作らなければならない。本格的な制作に入ってしまえば、クライアントと顔を合わせることもなく、自分一人でつくらなければならない。もう一度言うが、モノを作る人間には休みがないのだ。完成したと思っても浴びせられる「あーしろ!こーしろ!たーしろ!」という方々からの罵詈雑言に耐えながら、日々日々パソコンに向かわなければならない。
「平成最後の」「令和始めの」などと、noteではフリーランスという名の旅人や学生風情が騒ぎ立てている。しかし、この連休明けにはありとあらゆる企業がきっちり定時に目を覚ます。その時に筆者の頼まれていた仕事が終わっていなかったらどうだろう。きっと、黒塗りの車が朝、自宅の前まで来て「おう、どう落とし前つけるんじゃい」と言われ、バッティングセンターに連れて行かれる。そのまま、縛り付けられてカーブやらスライダー、手元で細かく変化するカットボールなど緩急を織り交ぜた投球を体で受けなくてはなくなる。筆者の抱える一番大きなプロジェクトは「泣きバナナ(※黄色い服を着て号泣する愛娘)を風呂に入れること」である。全身が傷だらけになってはお風呂に入るのがつらい。なので、筆者は一生懸命仕事をしているのである。
そして、昨晩のエントリーでもつづったが、さっき出社した。デスクにはボスと中ボスがいた。「おはようございます。お土産置いておきますね」と情けない声でご機嫌を伺うと、ボスが開口一番「何で来た?」と聞いてきた。それもそのはず。筆者のが割り当てられていた連休中の当番は明日からだった。そして、連休中にやっておかなければならない自分の仕事は連休前に片付けていたからだ。出社したのは、ボスと中ボスが出勤するという情報を聞きつけたからであった。「出勤しなきゃいけないのかなぁ~」なんてびびり、「行かなきゃだめですか」とも聞けず、「ええい、行けば怒られないだろう」と思ってスーツに袖を通して出勤したのだった。
これが誤算だった。ちなみにボスも中ボスもとても仕事が出来るステキな人だ。筆者はよくボスに怒られるが、ボスは色んな仕事を筆者に回してくれる。筆者にとってはとても大切な人だった。そんなボスに「何で来た?」と詰められたのだった。ボスはオンオフの切り替えがハッキリした人だった。筆者は思わず「えぇっとぉ…。5日に案件抱えているのでその準備を……」としどろもどろに答えると、「休めるときは休め」とひと言放った。筆者はバツが悪くなり、パソコンを抱えて会社のカフェスペースに来て、本稿をつづっているということなのだ。
とはいえ、筆者が仕事の準備をしなければいけないのも事実。担当部署のエライ人に「こんな感じでいいすかねぇ~?」とご機嫌伺いをしなければならないのだが、担当部署の人は午後1時ごろまで体があかないということであった。でも、予想していたよりははるかに早く帰れるので妻に電話すると「じゃあ出社しなきゃよかったじゃん」と言われた。
でも考えてほしい。高校野球なんて部活なのだから、別に負けても大したことはないんだ。優勝してもお金がもらえるわけではないし、プロやアマチュア球団でプレーしても、成功するのは砂漠から爪の上に乗る砂と同じくらいの確率である。それでも、なぜ世の中の人々は感動に浸るのか。それは、彼らが一生懸命だからだ。一生懸命に頑張って、高校教諭たちを「カントク」と呼び、「男になる」「全国制覇」「自分の仕事をする」と絶妙な暗喩を駆使しながら己の部活動の存在価値を高め、髪の毛を刈り上げて球を投げているからだ。それを大人たちがビールを片手に見て「青春だなぁ」というからである。
筆者もまったく同じである。例え、怒られても、馬鹿だなぁと言われても筆者は自分の仕事がそれなりに好きで、誇りを持っている。だから、全力過ぎるあまり、足をくじいてしまうこともあるのだ。今日はまさにその日だった。挑戦した結果である。トライアンドエラーの過程に過ぎず、筆者が悪いのでは無い。令和が悪いのである。今日は筆者が西暦の国に移住することを深く心に決めた瞬間であった。
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