【連載】私の妻は元風俗嬢⑨
筆者は好奇心旺盛である。子どもの頃に近所に落ちていた成人向け雑誌はくまなく全て読んだし、アルコールランプではどの程度紙を近づければ燃え移るのかも試した。ちなみに、人の心が燃えるのは距離があっても燃える。大切なのは火の種類である。怒りなのか、悲しみなのか、情愛なのか……。波長が合えば、海を越え、山を越えて、その熱は伝播していく。そうして広まったものはタピオカがある。タピオカはおいしい。350円で買える小さな幸せである。
第9話 走行距離があっても国産車は大丈夫
奇妙な同棲生活が始まった。妻はエロマッサージに勤めながら、筆者も自分の仕事に邁進していた。妻は異常なほどにキレイ好きだった。男性を相手にする商売をしているのに、部屋は奇妙なくらいキレイにしたがった。歯ブラシも新しいものにすぐ帰られ、1Kの部屋には無数の芳香剤が置かれた。筆者が契約している部屋だというのに、一気に部屋が変わった。筆者も妻もほとんど料理をしなかったので、毎晩のように食事に出かけた。筆者はアルコール依存症のように毎晩酒を飲まなくてはならなかったので、近所の居酒屋で酒を飲みがてら、食事をしていた。妻はほとんど夜は仕事に行っていたので、筆者は同居人が帰ってきていない状態では寝られず、酒を飲んで待っていた。
ある日、たまたま妻と休みがかぶった。筆者はパチンコを辞めるためにパチンコに行かなければならなかった。何かを辞めるというのは進行中のものを停止するという意味である。筆者は休みの日の朝はパチンコに行っていなかったので、パチンコを始めて、そして夕方には引退しなければならなかった。ギャンブル依存症を克服するのは大変な苦行であった。そんな折、突然妻がこんなことを言い出した。
「たまには遊びに出かけよう」
思い返せば、筆者と妻はテラスハウス的な関わり方をしていた。見ず知らずの男女が同居しているからだ。違うところと言えば車がおしゃれでないことであった。筆者は中古で買ったミニSUVに乗っていて、走行距離は11万キロを超えていた。筆者と妻は恋人同士でなかったが、テラスハウス的な解釈をすれば遊びにでかけることは自然なことであった。テラスハウスで最初にデートに行く男女は基本的に若者が選ばれた。筆者は若者の代表として、ギャンブル依存症のリハビリをお休みして、近くの都市まで車を転がすことにした。
家を出たときから嫌な予感はしていた。妻は都会の喧噪の中に立つとたちまち怪訝な表情を浮かべた。「なんか見られてるんだけど」。当たり前であった。ほぼブラジャーのような胸が露わになったへそ出しスタイルのタンクトップにジーンズという出で立ちだったからである。男性は胸元を見て、女性や子どもは腹部あたりに描かれた入れ墨をちらりと見ていた。筆者は大きい胸の女性の人が好きなので、町に出るとそういった女性を探すクセがあるが、見られている側にはバレバレということがありありと分かった。隣で歩いているとなんだか筆者まで注目されているようだった。気分はおじゃまっぷの香取君であった。
「そんな服装でくるからだよ」と言って、チャオパニックに入った。「こんな服着たくない。恥ずかしい」といやがる妻の手を引いて、洋服を選んだ。妻は態度こそでかいものの、体は非常に小さい。実は女の子っぽい服が似合うのではないかと思ったが、これが見事にあたった。きれいな白色のブラウスを購入し、試着室で着替えさせるとお嬢さんのできあがりだった。小学生から進学塾に通っていましたと言わんばかりのたたずまい。筆者は自らのセンスに脱帽してしまうのであった。
余談ではあるが、これをきっかけに妻は自分一人で洋服を選ばなくなった。妻は結婚してからというもの、「メゾン・マルジェラ」「コムデ・ギャルソン」「メゾン・キツネ」「ケンゾー」「マルニ」の5ブランドを着回している。妻は筆者が選んだので仕方が無いだろうという論法で攻めてくる。メゾンは一刻だけでいい。ちなみに筆者はユニクロを着ている。一枚だけ1万円するTシャツを持っている。原宿で出会った謎の黒人男性に勧められた、大きいサイズのポケットTシャツである。1回洗ったら2サイズくらい小さくなり、筆者のボデーラインをキレイに見せてくれている。
白いブラウスを着ると、妻は人が変わったようにご機嫌だった。入れ墨や胸元は全てきちんと洋服の中に収まった。筆者も一安心であった。筆者は酒が飲みたいところであったが、車で来ていたので甘い物を食べることにした。筆者は甘い物に目が無い。ビックリマンチョコレートのウエハースが特に好きである。一気に食べ過ぎて上あごの裂傷に悩まされたことがある。
妻は見るからに育ちが悪そうであった。タバコも吸うし、入れ墨も入っているし、そもそも風俗嬢だ。どうせフォークとナイフなど上手く使えようもなさそうだった。筆者は少しイジワルをしておしゃれな喫茶店兼ケーキ屋さんに行った。そこは少し大きめのサイズのケーキを出してくれる、それはとても素敵な喫茶店であった。そこで妻の現在地を教えてやろうと意気込んだのだ。人の成長は現在地を知るところから始まる。
喫茶店に着くと、妻はバナナクレープを注文した。「バナナ好きなんだよね」とひとりごちた。筆者はこんなおしゃれな店でもプロ根性を見せるなんて見上げたものだと思った。淫乱バナナ好き女である。
筆者のミルクレープと妻のバナナクレープが到着すると、意外なことに妻はフォークとナイフを使いこなして非常にキレイにバナナクレープを食べた。一方、マナーにおいてはフランス人と同等ということでおなじみの筆者は何度もミルクレープを皿の上で倒し、左手でこっそり立ち上げては食べていた。左手のクリームを何度もお手ふきで拭いた。目の前の淫乱バナナ好き女にまさかの敗北を喫した。
「キレイに食べるんだね」と筆者が言うと、妻は満足げな表情を浮かべて「当たり前じゃん」と言った。タコメーターの走行距離を一つずつ刻みながら、自宅に帰った。
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