ゴールデンウィークが終わった。
筆者の休みは驚くほど短い。
ゴールデンウィークはわずか4日間で終わりを告げ、明日から仕事である。この4日間は泣きバナナ(筆者の愛娘。黄色い服を着て泣いてばかりいるのでそう名付けられた)を連れて、妻の故郷に里帰りをしていた。
筆者の妻の実家は変わっている。日中のほとんどを居間で映画や衛星放送を見て過ごしている。筆者も幾度となく妻の実家に行ったことがある。朝昼夜どのタイミングで訪れても居間の西方4分の1に妻以外の家族4人が固まってテレビを見ていた。
さかのぼること3日。筆者は大型連休の始まりと共に4連休をもらった。正直なところ、家でゲームでもしながら過ごしていたかったが、泣きバナナの成長も見せたいところだったし、妻もヤンキーの友達と会いたいだろうし、始発の新幹線に乗り込み妻のふるさとにむかった。
富士山を横目にぐずる泣きバナナを抱え、新幹線は超特急の名に恥じないスピードで列島を下る。幾度も通過駅を猛スピードで過ぎ去り、最寄り駅についた。人もまばらな駅のロータリーでは義父と義母がハンドルカバーのついた車で迎えにきてくれた。車を開けるとかすかにタバコのにおい。「あぁ懐かしいな」と思いながら、泣きバナナをチャイルドシートにくくりつけて車が出発した。
実家につくとやはり郷愁の念がこみ上げてきた。交際始めのころ、かなり強面の義父に「なんとかしてくれ」と頼まれたこと。筆者の名刺をみるや否や筆者の勤め先の平均年収を調べた義母。裏口から侵入して妻を迎えに来た時に現場を目撃した義弟を1000円で買収したこと。その全てが美しく懐かしかった。
家に到着して、荷物を開き、さぁご飯でも食べに行こうかとしたところ。さっきまで車で迎えにきてくれた妻の実家の面々は居間の4分の1に集合してアベンジャーズを見ていた。「ここのロケ地は日本か」「キャプテンアメリカはとても強いが所詮人間だ。やはり神様であるマイティーソーにはかなわない」などと議論を交わしていた。「ご飯でも食べにいきませんか?」と聞くと「いや、いらん。映画を見ているから」と一蹴された。画面上ではキャプテンアメリカが盾を投げて悪そうなロボットを壊していた。
大人の帰省というのは色々とやることがある。以前からお世話になっているお偉いさんにあいさつしなければならなかった。筆者と妻はカップル時代からお金がなかった。筆者はギャンブルに興じなければならなかったし、妻はブランド物を買いあさらなくてはならなかったからだ。月末になり、お金が無くなるとお偉いさんに片っ端から電話をしてご飯を食べさせてもらっていた。結婚して、自分の食事は自分で確保しなければならないと悟った筆者は、かつての非礼をわびるためにもお土産を渡しにいかなければならなかった。泣きバナナを預け、「いってらっしゃ~い」と弱々しい声を発する義父を背に、怒濤のあいさつ回りに走った。
あいさつ回りが2日かけて終わり、筆者と妻は妻のヤンキー友達に会うことになっていた。ヤンキー友達は愉快な子ばかりであった。筆者と彼女たちとの出会いは突然だった。妻と筆者のワンルームの借り上げ社宅で同棲を始めたころ、勝手に筆者の自宅に呼んでいたのである。ある子はネットフリックスに加入していないから、筆者宅にテラスハウスを見に来ていた。彼女はとても良い子なのだが、とんでもない箸の持ち方をしていた。別の友人は車で来ているというのに勝手に我が家にウイスキーをボトルキープしていた。筆者はウイスキーが飲めないのでそれだけでも迷惑だった。しかも車で飲みに来ているので、代行のお金をよく支払ったものであった。
そして彼女たちは定職を持たない人々であった。それでも毎日何の不安もなさげで、底抜けに楽しそうであった。筆者にとってはそれは新鮮な出会いであった。一流企業に勤めながら、自らの才能を発揮することが出来ずに苦しんでいる筆者に対してタバコをふかしながら「仕事してないのに、そんなにたくさんお金もらって最高じゃん」と言ってのけた。彼女たちは筆者の心の不安を取り除いてくれる存在でもあった。そんな彼女たちに会える。その事実だけで心は高鳴った。無能という烙印を押された筆者に何か新しいひらめきをもたらしてくれるに違いなかったからである。
彼女たちとの約束の時間は1時間遅れた。待ち合わせ時間に起きたというなんともなものである。でも、筆者も妻もそんなことは分かっていたので、待ち合わせ時間にはまだ自宅で悠然とアイアンマンの活躍を見守っていた。「アイアンマンはスーツを着なければただの雑魚」と義弟がののしっていた。
ヤンキー友達はハンドルカバーの取り付けられたワゴンRで迎えに来てくれた。そのまま「最近出来た」というおしゃれなカフェに行き、昔話に華を咲かせていた。すると、彼女たちが出会った高校の話になった。
ご存じの方もいるかもしれないが、世の高校には「普通」「通信」「定時」の他に「サポート校」という学校がある。一般には不登校の生徒などが通信制課程、すなわち少ない単元数を全うするために全日制と同じような日程をこなす学校のことだ。仮に中学の時に不登校で全日制に通うことが叶わない成績であっても、それと同じような枠組みで学校生活を送れるということもあり、近年、急速に学校数を増やしてきた。ちなみに筆者の妹も10歳から不登校になり、この形態の高校に通っていた。学校は概して楽しい。環境が変われば活躍できるのは、日本ハムの太田選手だけではない。世の子どもたちも同等に教育を受ける権利を得るべきなのだ。妻はヤンキーすぎたので、このサポート校に通っていた。
とはいえ、学校には入試がある。当然、私学であるサポート校に通うためには結構なお金がかかる。大半がビジネスライクな学校経営をしているので「名前が書ければ入れる」というのが一般的だが、学校が推薦書を出さなければいけないというのが前提だ。
妻も、その友達も素行不良の生徒である。その上、世の中の常識などほとんど知らないといっても良かった。所詮公立の中学など生徒の進路希望に応じて推薦書類を出すのが慣例であろうが、妻の世間知らずに乗じた中学はここぞとばかりに謎の指令を出した。
「持久走を走れ」
妻とその友達は体操着に着替え、校庭を30周した。その姿を見た校長はいたく感動し、妻とその友達の推薦書に捺印を押したという。晴れて妻は進学する夢を叶えた。
しかし、当然ながら、筆者の妻は学校にも行きたくなかった。勉強もしたくなかった。しかし、義務教育ではない高校には留年がある。妻は学校もすぐ早退したり、来賓室のソファで眠りふけたり、担任の車に10円玉で傷をつけたりしていた。本来であれば留年していたであろうが、なぜか高卒になっている。
「あんた、どうやって高校卒業したの?」。筆者がおそるおそる聞くと
「先生が単位くれないって言った時は詰めた」
筆者は恐喝によって与えられる単位があるということを初めて知った。やはり、ヤンキー友達たちは筆者にひらめきを与えてくれた。これから、筆者は昇給の考課が振るわなかった時は上司を詰めようと思う。
実家に帰ると、泣きバナナが義父の膝の上に座っていた。筆者と妻をみて、「あーう」と言った。テレビの中でハルクがぶっ飛ばされていた。
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