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【連載】私の妻は元風俗嬢⑥

 筆者は優しい人である。バファリンの半分は優しさ、というのは定説であるが、筆者の場合はほぼ全てが優しさでできている。近くを通ると優しさにつつまれて色んな人の心が癒やされていく。その癒やし具合といったら、滝で発生するマイナスイオンと同じくらいである。自然界にマイナスイオンは存在しないという説もあるらしいが、それは左翼によるプロパガンダである。ユーチューブの文字だけの動画で学んだ知識なので、きっと真実である。

第6話 Can you speak English?

 ラブホテルの朝は暗い。窓もなく、流しっぱなしになっている謎の洋楽が流れる有線。脱ぎっぱなしになっている洋服。着替えなど持っているわけもなく、少し汗で湿った肌着に袖を通す。

 その日も仕事があった。傍若無人の限りを尽くして惰眠をむさぼった妻を駅まで送り、一度家に帰った。2日間放置されたテーブルの上のたこ焼きに「ごめんな」と謝りながらビニール袋に詰めてシャワーを浴びる。社会人の一人暮らしにとって洗濯物は敵である。休日はパチンコに行かなければならないので、片付けることができない。平日は酒を飲まなければいけないので片付けることができない。捕獲されたたくさんの敵が大量にかごに積まれていた。あまりに積まれていたので重力が発生し、なんだか引き寄せられそうだった。

 「おはようございます…。」伏し目がちに出社しても誰も反応は無い。事務のおばちゃんにすら無視されている始末だ。デスクに座り、誰からも来るはずのないメールをチェックし、ヤフーニュースの不倫ネタに眉をひそめ、シュレッダーを片付けて、タバコを吸いに出るとその日の仕事が終わった。筆者の当時の一日はだいたいこうである。「ちょっと外出ますね」と壁に向かって宣言すると、当時のボスがこちらを見ずに右手を挙げた。「もう今日は帰っていいぞ」の合図である。筆者はこの合図が大好きだった。時間は午後3時過ぎ。筆者の労働時間は大体4時間くらいである。

 後輩が熱を出したりするとたまに仕事が回ってくるので、社用携帯だけ胸ポケットに入れて、近所の公園に向かった。公園では、何の仕事をしているのかわからないピンク色の服を着たおじさんと、おじさんみたいなおばさんが雑巾みたいな犬を引き連れて一緒に酒を飲んでいた。そんなキワモノたちと一緒にスーツ姿の筆者。夕方前の公園など、近所の子どもたちが集まって騒いでいてしかるべきなのに誰一人としていなかった。


 静寂につつまれる夕暮れの公園で、筆者は故郷にいる家族に思いを馳せた。贈与されていたものと思っていたお金(大学への交通費、免許教習所の費用、携帯代)を全て帳簿につけて「借金」として請求してきた母親、50歳を過ぎてシルバーアクセサリーを集め出した父親、不登校からニートという黄金ルートで11年も過ごしているにもかかわらず他人の電車マナーにやたらうるさい妹、マメシバとして購入されたはずなのに体長が1メートルに迫ろうとしている飼い犬……。皆が、筆者は遠い地で一生懸命働いていると思っているのだ。でも、実際には仕事もなく、公園でタバコをふかしながら、風俗サイトを漁っていた。その日もなんとなく風俗に行きたい気分だった。たしかに筆者は仕事は無かったが、自分のお金で性産業にお金を使っていた。自らの趣味にお金を費やせるなんて一人前になったと安心したのだった。

 携帯電話で伊達君の名前を名乗り、エロマッサージ屋に予約を入れた。以前、激安エロマッサージ屋に予約を入れたら、外国人のおばさんが「本番4万円」と要求してきて、その気がなかったので断ったら、猛烈に怒鳴られて車を後ろから追いかけてきたことがあった。筆者は好奇心が旺盛なので、あまり同じ店を利用しないことで知られているが、その外国人のおばさんを思い出して、妻のいる店に予約を入れた。会社員独特の安定志向が働いてしまっていた。すると、妻が空いているというので妻を指名して安ホテルに車を走らせた。

  「昨日も一緒に泊まってたのに、話すことある?」

 開口一番、妻は悪態をついた。そもそも「ハンドフィニッシュ」を求めて店に予約を入れているにもかかわらずなぜ会話をしなければならないのか。妻はタバコに火をつけてソファーに腰掛けた。
 問診票を書いて、サービスを受けた後の話である。筆者は風俗に行くとパンツ一丁で「なぜこんな所で働いているんだ」「自分の将来をしっかりと考えよ」などと説教をするタイプであった。その日も指名料を払ったので説教しようと思い「なんでこんなところで働いているの?」と聞くと、妻はこんなことを言った。「男が作った借金を返しているから」。

 予想外だった。だいたいは「大学に行くため」とか「親が病気で」とかそういう答えをみな返してきていた。だが、その多くは完全に嘘とわかるそれだった。私物を見るとブランド物ばかりだし、中には整形の跡がありありとわかる人もいる。もちろん、ドラマのように悲壮な決意を持って働いている人もいるだろう。だが、多くのひとは自分の欲求を満たすために働いているのだ。筆者はそういう人間に対して「だめだ!真面目に生きろ!」などと金八先生さながらに熱く語り、悩める女性たちを導くボランティア活動に精を出していた。いつか国から勲章をもらえると思っている。

 ところがだ。なんと妻は男が作った借金を返すというなんとも返答に困る理由を述べた。「いや、そんなの返す必要ないだろ!」とか「あぁそうなんだ」と返事して戦略的な撤退をするべきだと考えた。投資の基本は引き際である。熱くなって突っ込んで良いことはなにもない。コイツはやばい。入れ墨入っているし、風俗で働いているし、そもそも行動パターンを知られている。これ以上関わろうものなら、筆者の立場も危うくなる。トんだ男の借金がこちらに回ってくることも請負だった。

 「今まで苦労してきたんだな。その歳でかわいそうに」

 筆者のあふれ出る包容力が出てしまった。余計なことをしてしまった。妻は何も言わずにタバコの煙を吐き出した。すると、「帰るね」と月9ドラマの40分代のような表情を浮かべて目がイカれている男の運転する小汚い車に乗り込んだ。

  家に帰り、その日はベースに行くのもやめた。ユーチューブを4時間ほど見て、民主党が韓国と組んで日本経済を根こそぎ韓国のために持って行こうとしていることを知った。怒りに震えながら眠ろうとしたところ、社用携帯のショートメッセージが鳴った。妻からだった。

「ねえ、英語しゃべれる?」

 嵐はすぐそこまで来ていた。

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