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【連載】私の妻は元風俗嬢⑦
筆者は素直である。その純朴さといえば、上京したての大学生のようである。缶チューハイ「ほろよい」をたしなみながら柿ピーを食べる。ちょっと酒を飲むのが早かった同級生に「鮭とばがおいしい」などと勧められて食べてみて、全くおいしいと思わなかったのに「アテにちょうどいいね」と言ってしまうような純粋さ、素直さを持ち合わせている。なお、筆者の最近のアテは梅干しと冷奴とあたりめである。飲んでいるのは黒霧島をジャスミン茶で割ったものである。
第7話 村上春樹的恋愛論
「英語しゃべれる?」
突然の質問に面をくらった。聞かれたのは彼女の有無でも、収入でも、通っていた大学でもない。語学力である。株式会社楽天の入社試験に来たのかと思った。イニエスタはいつ復帰できそうですか?
ちなみに筆者の語学力は英語の資料を読む程度であれば、ソツなくこなすことはできるが、会話はあまりできない。学生の時にOKとNOとExactlyとThis one?とMake loveだけでパブで外国人の女性を口説こうとしたら、屈強な彼氏に見つかって大変な目にあって以来、日本人の誇りを保とうと他国の言葉は使わないと心に堅く決めてきたからであった。ひとまず、電話をかけてみると、妻はこんなことをつらつらと語り出した。
「もう、人生メチャクチャだからさ。ワーホリに行こうと思っているんだよね」
ワーキングホリデー。この世で最もアホな言葉である。類語には「インスタ映え」「写真好きな人とつながりたい」「モデル志望」がある。業者は、変身願望を持った人間に対して、海外に行くことで自分が何か別物になれると錯覚させて仲介料を取る。言うなれば心の貧困ビジネスである。そもそも、英語が話せたからといって何になるのだろう。大企業で勤める人や自らの事業で成功している人は、すべからく自分の生業で一定の鍛錬を積んでいる。独学であっても、師事していても、学びの期間を設けている。そこに突然英語が話せるだけの人間が同等の生活を送れる訳がない。妻はアホの極みであった。筆者は風俗説教おじさんの本領を発揮し「人生変えたいなら、他にやり方がある」というと「今度相談したいんだけどいい?」と妻が続けた。結果、1週間後の休日に筆者が足繁く通っていた小料理屋で会うことになった。
当日、空は生憎の雨模様であった。妻は風俗嬢で金を稼いでいた。しかし、筆者は街の若き指導者としての威厳を取り戻そうとしていた。人生に迷う若者を啓蒙し、輝ける人材に育て上げようとしていた。筆者はその時、アルコール中毒者のように毎日酒を飲んでいたので、人生相談を小料理屋で受けることにした。約束の時間が30分前にすぎたころ、妻がやってきた。「おつかれ~」とけだるそうに言うので、筆者は「遅くなってごめんでしょ」というと、妻は「は?」と威圧してきた。そしてやはり車できているのに、ビールを注文した。
妻はなぜ風俗で働いているのか、生活ぶり、どんな人生を歩みたいのか……。それらをつらつらと語り出した。手下ラッパーと一緒に住むときに親の反対を押し切ったこと。そのくせ秒殺で出戻りし、入れ墨だらけで戻ったため親との折り合いが極度に悪くなったこと。違法薬物に関心があること。将来は海外で暮らしたいこと。日本人をやめたいこと。それらの事情を総合して彼女の夢は「黒人になること」。
人の夢は尊い。なるべく筆者も人の願いは叶えてあげたい。しかし、人種を越えるのは難しいモノがあった。かのマイケル・ジャクソンも、Black or Whiteという名曲を出しながら白人に転じてしまい、その身を落とすこととなった。すくなくとも、田舎のヤンキーが黒人になることは難しいように思えた。
「あぁ…そう…」。そう筆者が焼酎の水割りを飲みながらつぶやくと、妻は満足げだった。「それでさ、英語を話せるようになりたいからワーホリに行きたいんだ」。筆者は「ワーホリに行ってまともなヤツ見たことないよ。日本でキャリアを積まないってことなんだから。人生変えたいなら風俗やめるところからでしょう」と諭した。そして「借金は残りいくらくらいあるの?」と聞いたら、「今月終わる」とのことらしい。
妻はゴリゴリのナンバー入りだったので身入りもそれなりにあった。十分に遊びながらでも100万円の返済くらいわけないようで、半年ほどであっさり返してしまえそうだという。そして残りは今月。そもそも支払う義務など毛頭ない代物だが、物わかりの良さゆえにかぶってしまった。筆者の支払った指名料やオプション代も彼女の返済に回されたと思うとなんだかいたたまれない気持ちになったが、仕方が無い。
「あのさ、今彼女いないんだっけ?」と妻が聞く。彼女はいないが、筆者は別れたクレイジーガールと体の関係が継続していた。筆者の家にはさほど荷物も残されていなかったが、それなりに物が残っていた。でも、筆者も筆者とてこの関係を続けても先は見えていた。分かっていたが、筆者はおっぱいにとても弱かった。村上春樹の小説の世界のような暮らしをしていたのだ。「今はいないよ」。
「じゃあ住んでいい?」「ダメ」
妻は座敷童だった。なぜ、女がいなければ男の家に住み着いていいと思ったのか。全く理解ができなかった。筆者の家が一軒家ならドラえもんのように押し入れに寝泊まりすることも許可したかもしれないが、筆者はしがないマンション暮らしだった。寝泊まりなどするスペースはない。しかも、すきま風がすごい手抜き物件であったし、風呂は一定数お湯を使用するとあとは水しか出ないというトンデモ物件であった。そこに座敷童が一人住み着いたとしたら、筆者は毎日水でシャワーを浴びなければならなかった。ガンジス川で風呂に入るインド人のような精神的な高揚は筆者には求めるべくもなく、申し出は断った。
「じゃあ今度泊まりにいっていい?」「いいよ」
筆者は都合の良いことが好きである。彼女に支払う2万5000円が無くなれば、なんと素敵なことだろう。しかも、割りに妻は整った顔をしていたし、なにしろナンバー入りするほどの技術の持ち主だ。それがまさか自宅に勝手に来てくれるなんて。素敵なことであった。
そこから1週間程度。筆者はたこ焼きを買い終えてテーブルの上にセットし、眠りに就こうとしていた。時刻は夜中の2時。あぁもう寝ないと、明日もシュレッダーを片付けないと…。うつらうつらしていると、自宅のチャイムが鳴った。筆者のマンションはよく泥酔した別の企業の新入社員が間違えてチャイムを鳴らすことでおなじみである。そのたびに、何も言わずにエントランスに急行し、泥酔してチャイムを鳴らした新入社員を怒鳴りつけるのが筆者の趣味であった。そうすると新入社員は泣いてしまうのであった。筆者は眠い目をこすりながら標的を確認した。
妻であった。「仕事終わったから来た」。なぜ、風俗終わりの女性が夜中の2時に泊まりに来るのか。なぜ連絡もよこさないのか。説教してやりたかったが、疲労困憊だったので無言でオートロックを開けた。もう寝ようと思いながら、玄関の扉を開いた時に戦慄が走った。
妻は4泊はできるであろう荷物を持ってきていた。そして片手には中学生用の英語ドリル。「お疲れ~」。妻がけだるそうにあいさつした。筆者と妻の奇妙な同棲が始まったのである。