松花堂弁当
松花堂弁当とは、茶道に関係のあるお弁当で、京都の南、石清水八幡宮の社僧によって作られた四方箱を使ったものであります。
松花堂弁当の歴史や使われている箱の由来には興味深いストーリーがあります。
京都の南、石清水八幡宮の社僧に寛永の三筆とよばれ書にすぐれた松花堂昭乗という方がいました。松花堂昭乗以外の二人は本阿弥光悦と近衛信伊です。昭乗は石清水八幡宮の滝本坊の住持でありましたが、弟子に滝本坊を譲り、隣接する泉坊の一隅に方丈、松花堂を建てて隠居し、松花堂と号しました。
現在では、松花堂は京都南の松花堂庭園に移築して『草庵』として残っています。
松花堂昭乗は、寛永文化を代表する文化人の一人です。
昭乗の兄・左京の妻は小堀遠州の妻と姉妹であったことから小堀遠州とも交流がありました。
現在、松花堂庭園にある四畳台目の「閑雲軒」は小堀遠州が昭乗のために造ったものを再現したものです。昭乗は茶の湯を好み多くの名物茶器を持っていて、これらを「八幡名物」といったようです。
昭和初期、昭乗の庵に吉兆のご主人湯木貞一氏がよばれました。その庵に深さ4センチくらい十文字で4つに区切られている四方箱が五つほど重なっていました。土地のお百姓さんが籾殻を仕分けするのに使っていた箱を昭乗さんが春慶塗りにして四方角に銀金具をつけて、タバコや薬などを整理するための仕分け箱として使っていたようです。茶席では、昭乗の時代から煙草盆が取り入れられてきたようです。これを見た吉兆のご主人がこの箱は料理にも使えるということで、昭和12年にお弁当箱として作り「松花堂弁当」として売り出したのが始まりです。元の四方箱よりも少し深くして盛付けやすく小皿なども入れて煮汁がこぼれないようにもしました。最初は入れるものにある程度決まりがあったそうです。右上には木皿に入れた刺身などの向付。左上には、口取りという前菜と焼き物。左下には染付皿に盛った炊き合わせ。右下には、ご飯。それに吸い物椀とぐい呑みを添えて一揃いだったようです。現在では、ご飯を盛る位置が逆、左下にご飯を入れてある松花堂弁当が多いと思っています。懐石の置き方にならって変わったのかなと思っています。そして、これに蓋をつけることによって、料理の乾燥とホコリを防ぎました。
懐石のご飯と汁と向付の三光の置き方。ご飯は大切なものという考え方から、左上位。左側に置きます。ご飯と汁を逆に置くと「夷膳(えびすぜん)」と呼ばれ、礼を欠くことになります。
また、茶道と縁のある弁当と言えば「大徳寺縁高弁当」です。
縁高は角切でかぶせ蓋。寸法は大小あり、蓋に四辺の切り込みがあり、蓋と器の裏に「大徳寺」の印があります。
こちらの縁高は中に仕切りがなく、縁の高さが高いです。菓子器の転用とも言われ、料理が盛付けにくく、盛付けも分担ができないため、最後まで一人での仕事となるため大寄せの茶会などには難しいお弁当です。
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