茶の湯と災害
2021年はかの東日本大震災が発生して10年の節目の年にあたるため連日マスメディアではあの日の記憶や災害に関する報道が番組の多くを占めています。
今回のロナウィルスの場合も、茶の湯は不要不急のものとして危急の場合一番最初に切り捨てられるものの一つであることを痛感いたしました。
震災の時にもおそらくは大切な道具を失い、または茶室も流された方、そしてお亡くなりになられた茶人の方もいらっしゃると思うのですが、そのような話にはほぼ接することはありません。
私は10年前まだ会社員時代で、取引先の百貨店の7Fにおりました。耐震構造の建物であったため、上層階は体に感じる揺れが長く、潜った机ごと左右に大きく引きずられながら、親族の安否が気になり、次に死という文字が頭をよぎりました。しかしその次には押し入れにある茶道具が気になり、我ながらなにを考えているのかと思っていると、揺れは収まりました。
命も危ない危急の時に茶道具の心配をするなど、何を考えているのか、それこそ「非国民」呼ばわりされるかもしれませんが、これがその時頭の中で考えた本当のことです。
茶の湯をするものにとって、道具や茶室は自分の体の一部と言っても良いくらい大切で身に添うものであります。
自分のできる範囲でコツコツと揃えて来た道具、先生からいただいた思い出の道具、ひとつひとつにお世話になった方々との出会いが込められていて、金銭的な価値は低くてもその価値は自分が歩いてきた道そのものであると思います。
人の力では防ぐことのできない自然災害などでそれらの大切なものを失う時が来るかもしれませんが、せめてそれまでは道具や茶室を大切に、そして七転八起の精神で、命ある限りまたゼロからお茶を始める覚悟を持ちたい、そんなふうに考える三月であります。