note復活! #stayhomeである連休中、一日一服、 COVID-19の終息を祈りつつ点てた抹茶をいただこう。 茶道という総合芸術に触れること まるで広くて深い海だから 溺れないよう気をつけて 歴史と芸術を学び、一服を頂ける今に感謝。 令和二年五月一日(2020.5.1)金曜
定期的に継続されるとは予想していなかった「川越お稽古訪問」。 有り難く、お稽古を拝見させていただく。 先生のご自宅にお邪魔し、早速、灰の準備を見せていただく。 慣れた手つきで、素早く美しい灰の形を作り上げていく様子は、 ただただ関心するばかり。 準備が整い、順次お弟子さん方のお点前を拝見させていただく。 とても良くお稽古されているので、見ているだけでも大変勉強になる。 お客様役をさせていただき、美味しいお菓子とお濃茶を堪能。 お稽古の後、一息つきながら先生ご夫妻とお弟
茶道稽古の見学@川越を控えた前日、ちょうどテレビ番組で街紹介。芸人が散策しながらお店や街並みを映していく。再放送らしい。 往復時に、通るかもしれないし、良さそうなところがあったら寄ってみるのもいいかもしれないと思いながら観てみる。 ◎食材持ち込みOK、イタリアンレストラン「コポリ」 ここは、隠れ家的な場所で、辿りつくのは少し大変みたい。 その他は、わりと有名観光スポットらしい。 ◎パン屋さん:川越ベーカリー 楽楽(らくらく) お庭が気持ちよさそう。 ◎川越 松本醤油
(二週間ぶりで書きかけていた"日記"を公開。) この日は、しばらく続いていた肩凝りが、いよいよ酷くなり吐き気もしてきたので、鍼灸を頼る。以前にも腰痛時に駆け込んだところ。 やっとの思いで辿りつく。 施術者の女性が驚くくらい、酷かったらしく。 そして勧められるがままオイルでリンパを流すマッサージも追加。 終わった後は、、、立ちくらみがする。 これは血流がよくなった証拠らしく、 しかし急に流れが良くなったので身体がついていけずに立ちくらみのような感覚を覚えるのだとか。もの
遅刻して、早退だったが、何とか座学に出席。 今日の座学は、調理してからの食事付き。鱧をいじったところで、途中退散。残念。鱧臭い手で仕事に戻る。 座学は、いつもながら大変勉強になり。応仁の乱の時も多くの人・物が破壊され文化が損なわれたが、今日話題に出たのは、大崎にあった11もの茶室が、黒船襲来後、砲台をつくるからということで取り壊されたのだ、と。 不昧公の隠居所で、11棟もの茶室その他有する、大きなテーマパークのようだったらしい。今は、跡形もない。そして、利休ゆかりの「独楽
作成予定の『曽祖母の道具集』に掲載する道具。菓子器は読める。他の漢字は、ところどころ、読める程度。嵯峨、かな。 まともに読めず意味がわからないので、調べようもなく。わかりそうな人に尋ねてみよう。 ↑ 蓋の裏側 器の裏側に何か朱塗りで書いてある。登録番号か? 器と蓋の他に、台がついている。台の枠は、少しひび割れしている。 令和元年六月二十六日(2019.6.26)水曜日
足りない懐石道具を買い揃えたいと思うが、迷って決められない。 必須は、湯桶と湯の子すくい。 それから、杉八寸、箸。 できれば、飯器と杓子、通い盆、小吸物椀。 幸い、輪島塗の懐石御膳五客揃(五種類の椀と御膳のセット)が我が家に残されているから、それは大いに活用している。曾祖母はどれくらい利用したのか。どうやら五客分全てを一斉に使うことはなかったようだ。御膳についている足が丁寧に和紙でつつまれた状態のものが一つ二つある。おそらく納品された当時のままだろう。 オンラインでも新
茶道支部の一員としてお役目を果たさねばならない。今回は、お茶会のご案内やお手伝いの依頼など送付する書類の作成。 まだまだわからないことも多い。自分だけでは判断できないことが多々あるが、とりあえず、わかる範囲内で作成して支部長ほか確認依頼、提出してみる。 まるで、お仕事しているかのよう。なかなか手間ひまかかる作業で、頭もつかう。気もつかう。一度に色々な書類を送ることになるので、受け取る側の立場になって少しでも分かりやすくと考える。本業が役に立つ時。 初校は提出、まだ続く。
貴重な日曜、TOEICテストを受けた後は、急いで支度してお店へ。 月一回の茶事自主稽古@抹茶カフェ。本格的なことはできないけれども、お仲間と一緒にお稽古敢行。精進懐石に挑戦してみる。 出汁は鰹を外すので、昆布・干瓢・椎茸・炒り大豆でとってみる。参考にしたウェブサイトでは、副住職が大切なことを述べている。五味に加え、「淡」が肝要とは。その域に達するには、まだまだ研鑽が要る。ただ何となく美味しいものを作ればいいということには止まらない、精神的なところを問われている気がする。実
一週間の疲れが抜けぬまま、開始直前、座学の会場に滑り込む。 またまた為になるお話しをたくさん。「南方録」を解説していただき、お昼を食べて、幸せなひと時。ここで出会うお仲間も素敵な方たち。茶事のお誘いをいただいたりして嬉しい限り。 メモ 暦のお話し。旧暦で五月は梅雨、六月は夏。約40日のずれ。「五月晴れ」とは「五月雨」からきており、ピーカンのことでなく梅雨の時期にある晴れ間のこと。六月行事の話。「茅の輪くぐり」は穢れを祓う「夏越の祓(なごしのはらえ)」である。12月の「年越
茶道関係の座学で触れた「応仁の乱」「東山文化」。茶道を嗜む上で、重要な歴史。 先生がまるで”講談師”のごとく生き生き解説してくださるのが楽しく、興味深い。もっと学びたいという意欲が自然と湧いてくる。 メモ 十年続く応仁の乱で京都は丸焼き、疲弊した時、公家や京の人間は堺へ逃げていった。岐阜にも散っていった。そして文化も散っていくこととなった。なぜ、灘でなく堺だったのか。治安が良く船が使える。そして、2人の商人、今井宗久と武野紹鴎。茶というものを政治にも利用した信長は、今井宗
作灰のため、藁灰をネットで買ってみた。ネットで陶芸ショップか1Kg×3袋。到着後、開封して歓喜!したのだが、色が真っ黒で悩んだ末、木灰に交換してもらうことに。 届いたままの箱で、書いてあった通り、品名「藁灰」と送付状に書く。これがいけなかったようで、郵便局ではすぐに受け付けてくれず「確認します」と言って、長時間待たされるはめに。ここで郵送するのは断念して引き返し、別の方法で送る。 あとで気になり調べてみた。郵送で送れないものの中に灰はない。 遺灰と間違えたのか思いと、そ
茶道の先生はご高齢ゆえ、事務的な処理も思うようにいかなくなってきた。そこで自分が代理で必要な処理をする為、書類一式お預かりしてきた。先生も喜ばれ一安心。 断続的に送付されてくる茶会の案内やら事務連絡の書類、ひとつひとつ内容を確認し、必要に応じて返送したり、FAXしたり、お金を振り込んだり。結構、時間をとられる。 お稽古以外の事務的なあれこれも、今まで先生が全て行ってくださっていたことに改めて感謝しつつ、仕事の合間、振込に行ったり。 懐石料理の先生は、たびたび「財産はお人
家にある書物の山に埋もれていた、古い書物。偶然見つけた。茶道を嗜んでいなかったら、見逃していたか、手に取ることはなかっただろう。 ”大森宗龍著”とあるので、ネットで調べてみる。玉川遠州流五代、この『茶道夏木立』を著したとある。今も伝書として伝わるものらしい。 この書物が出てきたおかげで合点がいったこと。なぜか家には、いわゆる抹茶道具の他に、煎茶道具(急須と湯のみのセットや錫の茶筒)が伝わっている。この玉川遠州流は、煎茶と抹茶道の両方を行う流派であるという説明を見つけて、納
Website「茶の湯の楽しみ」の歴史。今日もまた検索&掘り下げ。 茶の湯の前史 ”前史”から、なかなか進まない。 紀元前のこと、”奴隷との契約文” !? の記述から。茶を煮る道具を整頓させたり、茶を買いに行かせる、という内容。「契約にないから酒は買わない」と抗った奴隷が、しっぺ返しをくらい後悔するという面白い小話だ。 王褒(おうほう)の、漢代の神爵三年(BC59)正月十五日の日付のある 『僮約(どうやく)』(奴隷との契約文)に「烹荼盡具(烹茶、具を尽くす)」(茶を煮
まともに宣伝も声かけもしていないから本日は訪問無し。ここ最近は誰かしら訪れてくれていたが。まぁこんな日があってもよい。時間がきたら、さっさと片付けて帰宅。食事は再び持ち帰り、家族に食してもらう。これはこれで大変喜んでくれるから、こちらも嬉しい。 献立決めや調理・段取りをいかに手際よく行い、お店では来訪者に楽しんもらえるよう、もてなしができるか、まだまだ力不足で。今は修行あるのみ。本業が疎かにならないよう上手く調整しながら、大好きな茶道ごとを継続・実施する。これも修行。 教