施設にいるばあちゃんに会いに行った
3年ほど前から施設で過ごしているばあちゃん。
家から40分ほどの距離でコロナ前は月に1、2回会いに行っていた。
1時間くらい近況報告をしながらゆっくりお喋りしたり、写真を一緒に撮ったりして幸せな時間を過ごしてた。
この状況になってから会いに行くことが難しくなって、自分が感染していたら怖いから行けないとか、でもばあちゃんの顔を見たいとか、夢にばあちゃんが出てきてものすごく会いたいとか、ものすごく葛藤してた。
なんでこんなに考えてしまうのかって、幼いころ色々と事情があって甘えることができない時期があった。
だけどばあちゃんにだけはものすごくわがままを言えた。
今思えば小さい頃のわたしに、なにそんな無茶なこと言ってるのって叱りたくなるくらい。
ばあちゃんといる時は、わたしが子どもらしくいられる時間だった。
久しぶりにばあちゃんに会いに行く日。
このご時世なので会えるのは、玄関先で5、10分だけ。
ばあちゃんは、髪の毛をすっかり真っ白にして、相変わらず背筋はピンと伸ばして、お喋りが止まらなかった。でも、わたしの顔を見るなり、誰?なんて言ってた。
ばあちゃんのボケが始まっているのは分かっていたけど、わたしの顔も名前も忘れてしまった。
いつかはくると思っていたけど、やっぱり悲しかった。
ばあちゃんの前では、笑顔でいたけれど帰り道の運転中に涙が止まらなくなった。
昔のことが走馬灯のように蘇る。
寒くなったころ、学校から帰ったらあったかいこたつを出してくれていたこと、
昼寝をするわたしに冷えないようにと毛布をかけてくれたこと、
わたしの大好物が詰まった夜ご飯を作ってくれたこと、
ひな祭りを盛大にお祝いしてくれたこと、
ばあちゃんの部屋で一緒に寝たこと、
小学生のころ、帰りが遅くなれば心配になって家の外で待ってくれていたこと、
時には、わたしが帰ってくる道を歩いて迎えにきてくれたこと、
言い出したらキリがないくらい、ばあちゃんがくれた愛情は抱えきれないほど大きかった。
記憶はなくなってしまったけど変わらないものもあった。
玄関先での別れのときだった。
見えなくなるまで手を振ってくれる姿、いつものようにわたしに触れようと手を伸ばす姿、優しくてあたたかいばあちゃんのままだった。
わたしはばあちゃんになにかしてあげられたかな。
ばあちゃんはあの時幸せだったかな、
今は、幸せですか?なんて考えてしまう。
手を触れることもマスクを取ることもできないもどかしさはとても辛い。
この状況が落ち着いたら目一杯抱きしめさせてね。
ばあちゃん、ありがとう。またすぐ会いに行くよ。