なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか。2冊目①太閤検地の概要と本稿の目的
書誌
まずは書誌から。
中野等,2019,『太閤検地――秀吉が目指した国のかたち』中央公論新社(中公新書).
本書の要旨
(写真はヒストリストHPより引用)
「太閤検地」とは,豊臣秀吉が全国で実施した検地の総称であり,全国の土地を米の生産量で把握するシステムである。
日本の土地改革史上最重要事項とされている太閤検地は何がすごいのか。本書では次の3点にまとめている。
① 全国を対象として,統一された基準で実施されたこと。
② 検地した土地の生産量を「石(こく)」という単位
③ 検地によって、それまであいまいだった土地の境界が明確になり、近世的な「村」が成立した。
この3つのうち、筆者は特に②の点を強調している。
太閤検地は決して耕地の丈量などにとどまるものではなく、また単なる土地制度史上の政策ではない。それは社会構造そのものを大きく変える政策だったのである。
(中野 2019: ⅱ)
太閤検地を機に変化した社会のありかたを、歴史用語では「石高制」という。
これは、当時食品でもあり、通貨でもあった米の容積を示す単位の基軸を「石(こく)」としたことから名付けられた。これ以降、大名の領地、給料だけではなく、村々の規模や耕地の規模、さらに年貢となる生産物の多寡も、つまり、社会のあらゆるものが「石高」によって表示されることになる。こうして、太閤検地は、「石」を基軸としたシステム「石高制」を作り出したのである。
このように、太閤検地が単なる土地政策ではなく、社会構造を大きく変えたものであることは、本稿でも繰り返し確認していくことになる。
以上のような特色をもつ太閤検地であるが、秀吉はそもそもこの太閤検地をどのような目的のもとおこなったのであろうか。
〇太閤検地の目的
よく誤解されていることだが、太閤検地は土地を測量し、それを耕す農民の名(「名請人」という)を土地台帳に記すことで、確実な年貢の搾取を目的としたわけではない。
本書では秀吉の目的を次のようにまとめている。
秀吉が検地をとおして目指したものは、「村」という形で完結する在所の単位の画定であり、村・郡・国というかたちで重層する単位が、それぞれにどの程度の「富」を生み出すのかを数値として把握することであった。
(中野 2019: 9)
そしてこの「富」を図る「ものさし」となったのが米であり、人々の食を満たすだけではなく、貨幣としての役割を担っていたという意味でも、全国的に統一された基準として「石高」が採用されたのであった。
つまり、秀吉はそれまで重層的だった土地の所有権を単一化し、それを秀吉のもとに掌握する「土地所有の集約・一本化」をすすめたのであって、そうした過程がまさに「天下統一」であったのだ。
本稿の目的
ぱっとみ、「太閤検地」と「朝鮮出兵」という歴史的出来事の関連性はみえてこない。一方は土地政策であり、一方は軍事であり、2つの結びつきはなさそうにみえる。
しかし、筆者の強調したことをもう一度思い出してほしい。
そう、太閤検地は単なる土地政策ではなく、社会構造を大きく変えたのだ。
軍事もまた、社会から独立しては成り立たない。その国の社会のあり方は、軍事のシステムを強く規定する。
本稿では、太閤検地と朝鮮出兵という2つの歴史的出来事の結びつきを中心に取り上げていく。
太閤検地と朝鮮出兵の結びつきは、次の2点である。
① 軍役動員と領地石高
② 朝鮮半島の兵站化と日本の占領政策
まずは、軍役動員と領地石高についてみていこう。
・・・長くなりすぎたので次項に譲る。
参考文献
「太閤検地」ヒストリストHP(最終確認日 2020/12/18)
続きはこちら
追記できました。合わせて3本にまで記事が増えてしまいました。