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明太子に醤油をかけるじじいが居た

庭には紅白とりどりのバラが咲き、二階の個室には大きな碁盤と囲碁雑誌の山。

毎日三食にショートケーキのデザートがつき、夜は煙草をくゆらせながら焼酎を一杯。

晩年はガリガリに痩せ、声帯の衰弱から喋ることもできず、1日の大半を寝て過ごす毎日。

私の祖父は、自由に生き、
そして、不自由に生を全うしました。


小学校の授業で、「将来の夢」を書かされたと思うんですよね。
宇宙飛行士になりたいとか、サッカー選手になりたいとか。
今のトレンドはYouTuberとかだと思いますけど。

私も、「ゲーム会社の社長になりたいなー」みたいなことはよく言ってたんですよ。
中学生、高校生に上がってもその夢はあったんですが、
かといって、ゲームクリエイターになる、もしくは社長になるための勉強というのは全くと言っていいほどやったことはなく、ただひたすら「なれたらいいな」と空想ばかりに耽って過ごしていました。

そんな有様だから当初の夢が叶うはずもなく、今はオンラインコミュニティ「茶の蔵」と「女塾」のスタッフとしてnoteとスタエフを投稿し続ける傍でごく普通の会社員として働くという、「ゲーム会社の社長」とはおおよそ程遠い生活をしています。

どのような形で諦めるかはよりけりですが、ほとんどの人は、大人になるにつれて最初の夢を諦めていきます。

中には、夢破れて涙した方もいらっしゃるでしょう。
あるいは、家庭の事情で夢を諦めざるを得なかった方も少なくはないと思います。

今このnoteを読んでいるあなたが、どのようなお気持ちでいらっしゃるのか。
それは分かりません。

しかし少なくとも、これだけは言えます。

私は今の人生を生きていて、
幸せです。

これは、私がまだ子供の頃の夢や憧れを捨てきれていなかった頃のこと。
祖父が存命中だった頃のお話です。

私の祖父は、自分の家に庭を持っていて、バラの花や松の木なんかをたくさん栽培していました。
二階の個室には碁盤があり、NHKの囲碁講座の雑誌を片手に一人で碁を打っていたところをよく見かけました。

当時の私はそんな祖父を、

悠々自適に暮らしている人って、思うがままに生きる人って、
なんて素晴らしいんだ!

と憧れていました。

自分も老後はこんな生活を手に入れたいと思っていました。

でもそれってね、
今振り返って思うからこそ言えるんですが、

ただの言い訳なんですよ。

あるいは、宿題。
あるいは、お受験。
あるいは、就職活動。

自分が今真剣にやるべきこと、考えるべきことから逃げて、

「夢って素晴らしい!」

みたいな、いかにもな言説に逃げていく自分を正当化するために、

「好きなように生きられる人を尊敬します!」

なんて、尤もらしいことを言ってたと思います。

インフルエンサーの多くがとっている戦略がまさにこれで、辛い現実から逃げる口実として、「好きなように生きるのは素晴らしい!」と謳って、人を集めているんですよね。

かくいう私もインフルエンサーに踊らされた(そして危うく情報商材を買うところだった)情弱の一人でしたが、
今にして思えば、ゲーム会社の社長を夢見ていたあの日から全く変わっていなかったんだなと思います。

そもそも、「好きなように生きる」って素晴らしくもなんともないんですよ。

私の祖父が悠々自適に暮らしてたせいで、ずっと割を食っている人がいたんです。
それが私の祖父の妻、つまり、私の祖母にあたる方です。

祖父は生前糖尿病を患っていました。

にも関わらず、

焼酎は飲むわ、
毎食後欠かさず白砂糖たっぷりデザートを食べるわ、

やりたい放題だったんです。

極め付けがですね、
明太子に、

醤油をかけて食べるんですよ。

よく90歳オーバーまで生きれたなと、逆に感心してしまいます。

当然医者からストップがかかり、祖母は野菜中心の食事を用意するようになったんですが、これに祖父が大激怒。

テーブルをバァン!と叩き、「こんなキリギリスのエサみたいなメシが食えるか!」と暴れ出してしまい、結局、祖父の好きなものを好きなように食べる生活に逆戻りしてしまったそうです。

そして祖母は、衰弱していく祖父につきっきりで看病するために趣味だった舞もやめて、そのせいで自身も足腰をかなり弱くしてしまいました。

その後の顛末は最初にお話しした通り。

好きなものも食べられないし、庭いじりも囲碁もできない。
声を発することもままならず、ほとんど寝たきりの生活。

自由な生き方が、自分も周りも不幸にしていく。

とても残念な結末です。
(キリギリスって表現だけは面白いですけど)

とはいえ、こんなことを言っても後の祭りですが、

もしもう少し段階を踏んで、食事のメニューを変えていったら、祖父は野菜が多い生活も徐々に受け入れることができたかもしれないし、長生きできたんじゃないかと思います。

それに、段階を踏んだリハビリももちろん大事なんですが、

それ以上に大事なのは、

「今この瞬間が幸せである」

という境地を実感してもらうことなのかなと思っています。

これは、弘法大師空海が生前打ち出した「即神仏」という考え方なんですが、

最終的に仏になるために我慢をするのではなく、
今この瞬間から仏になったつもりで生きる。

ということなんですね。

これは、

この世とは苦界であり、仏になるために何度も転生を繰り返すための修行の場である。

・・・という当時の仏教界の常識をひっくりかえす全く新しい価値観でした。

私はこれが、闘病生活にも同じことが言えると思っています。

「将来の幸せのためにキリギリスみたいな食生活でも我慢しましょう」

という話じゃなくて、

いやいや、

「今こうやって将来の幸福のために食生活を始め全てを改善しているこのプロセスこそが幸せなのですよ」

っていうことだと思うんですね。

それを実感してもらえたら、祖父は余裕で百歳超えて大往生できたんじゃないかとは思うんです。(もちろん長生きすればいいって話じゃないんですが)


以上が、私の祖父のお話です。

もしこのお話で、少しでも何か感ずるところがあれば、とても幸いです。

私は、
夢や憧れというものは、

真我(アートマン)から発せられる願いからはかなり遠いところにあると考えています。

だから人は、
大人になるにつれて、

最初の夢を、
真なる願いが現実世界で叶いやすい形に、

段階的にチューニングしていくんじゃないかと思うんです。

それが、ほとんどの場合は最初に抱いてた夢とは全く異なる形になるので、「夢は諦めるものだ」ってことになるのかなと。

それでもやっぱり、一番大事なのは、

今この瞬間が幸せである。

ということ。

それを認識できないと、

本当の幸せ
本当のやりたいこと
本当の自由

そのどれもが得られないんじゃないかなって思います。

(おしまい)


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