見出し画像

メゾン・ド・モナコ 63

ふぅ、と溜め息を吐いて、なずなはアパート内の階段に腰掛けた。

目玉というか、イベントで一番人が呼べるのは紫乃しのだろう。キッチンカーでも宣伝してくれているので、その流れで、少しでもメゾン・ド・モナコへ目を向けてくれれば良いが。

そんな風に、どうしたらお化け屋敷と呼ばれるこのアパートに人を呼べるか考えていると、ふと、友人達の顔が浮かんだ。

連絡、してみようかな。

そう思ってスマホを手に取るも、何となく気後れしてしまう。
夢への道を絶たれた時、良くない事ばかり考えていた。皆に必要とされない、迷惑なのかもしれないと思えば、連絡を取る気持ちになれなかった。
その気持ちは、まだなずなの中に燻っている。
皆、頑張って前に進んでいるのに、自分だけが何も変わってないみたいだ。

「おい」

声を掛けられ、なずなは驚いて振り返った。そこには猫姿のナツメがいて、なずなは階段の前からどいた。廊下の床を拭いていた途中だった。

「ごめんね、邪魔だったね」
「…お前、歌下手だよな」
「…あ、はは、ごめん。もしかしてうるさかった?」

あれからギターに触る事が日課になっていた。ハミング程度だったが、集中するあまり歌を口ずさんでいたかもしれない。
ギターに触れて音に包まれていると、心が安らいでいく。上手い下手は抜きにして、根っからの音楽好きだと、自分でも実感していた。

「違ぇよ。悪くないと思ったから、あの曲」
「え、」
「優しい、良いメロディだ。歌は下手だけどな!」

そっぽを向きながら、それでもナツメは気持ちを伝えてくれる。例えぶっきらぼうな言葉でも、あのナツメが褒めてくれたと、なずなには単純にそれが嬉しかった。簡単に他人を認めないナツメだ、自身の事だって簡単に認めようとしないのは、部屋中に貼られた決意の言葉の数々を見れば良く分かる。
ナツメはアイドルで、プロのアーティストだ。ナツメの歌は、聞く人の心を、底の方から震わせていく。歌心がある歌い手だと、ナツメは歌う事が本当に好きなのだと、思った記憶がある。
だから、嬉しかった。否定されたと思った曲が、自分が夢中で注ぎ込んだ過去の日々が、そのたった一言で報われた気さえする。

思わず涙が込み上げそうになり、なずなははっとして小さく頭を振った。ナツメもそっぽを向いているので、気づきはしないだろう。
もし気づかれたら、今の言葉を茶化して撤回されてしまいそうな気がして、なずなはその前にと、こっそり涙を呑み込み、ナツメの言葉を大事に胸にしまった。

「お前のバンド、いい曲歌ってたんだな。…このままでいいのか?」
「…え?」

思わぬ言葉に、なずなはきょとんとした。
胸にしまった傍から、ナツメが過去を、その熱を灯しだそうとする。

「…だって、私歌えないから」

思わぬナツメの言葉に、なずなの胸は震えたが、すぐに現実が熱を奪っていく。なずなには、歌ってくれるボーカルがいない。

「…ほら、下手だから歌」

苦笑うなずなに、いつの間にか人の姿に戻ったナツメは、難しい顔をしながら腕を組んだ。

「それでいいのか?その曲は、そのままで良いのか?納得出来てるのか?」
「だって、」
「頼めばいいじゃん、誰かにさ、歌える奴に」
「そんな人いないし…」

なずなは友人付き合いを断っている状態だ、こんな時に頼れる人のあてもない。あるとしたら、実家の定食屋の常連さんだろうか、誰か一人くらいは、歌ってくれそうだが…。その前に、いい加減現実を見なさいと、母親に料理修行を受けさせられそうだ。

なずなとしては、思い浮かぶ現実を伝えただけなのだが、ナツメはその答えにムッとして、なずなの前に回り込んだ。

「俺がいるじゃん!歌ってやっても良いって言ってんの!」
「え、」

それは、考えもしなかった。だってナツメはプロだし、そもそもナツメが自分の為に何かをしてくれるなんて、失礼ながら思いもしなかった。
なずながぽかんとしてると、ナツメはなずなの手を引いて階段を上がっていく。そのままなずなの部屋に入ると、立て掛けていたギターをなずなに押し付けた。

「いつもの弾いて」
「え?」
「早く!」
「は、はい…!」

戸惑いつつ、なずながギターを弾くと、ナツメがそれに合わせて歌い始めた。その歌声に、なずなは驚いてギターを引く手を止めそうになった。

何故かナツメは、歌詞もメロディも完璧に覚えていた。
ナツメの柔らかな低音が深く体に染み渡り、熱の籠った高音が、心を揺さぶってくる。それは耳に心地よく、まるで語りかけるような温もりもあって、言葉以上の気持ちが伝わってくるようで。
アパートに居る時とは違う、ステージの上で見られるナツメの姿に、この曲がより一層特別に感じられて、なずなはまるで夢を見てるみたいだった。


歌い終えると、ナツメはどうだと言わんばかりに胸を張ったが、ぽかんとしているなずなに照れくさくなったのか、さっさと猫の姿に戻ってしまった。なずなはたまらずギターを置き、ナツメを抱き上げた。

「か、感動しました!完璧です!どうして!?」
「ふ、ふふん!あんなの何度も聞いていれば覚えられるし!」
「何度も…聞いてくれたの?」
「え!?いや、た、たまたまだ!下手くそだから、つい耳に入っただけだ!別にお前の曲だから聞いてたわけじゃ」
「…ありがとう」
「う、」

ぎゅ、と抱きしめれば、ナツメは困惑しながらも、されるがままだった。

「ありがとうナツメ君」

歌ってくれた事、聞いてくれた事、良い曲だと言ってくれた事。世の中から突き放されたと塞ぎ込んでいた気持ちが、そっと救われた。否定されたいつかの自分が報われたようで、過去に引き戻されそうな心が、そっと背中を押されたようだ。

「お、大袈裟な奴だな!」

ナツメはついに耐えきれなくなり、僅か顔を赤らめながら、前足でなずなの体を突っ張ると、その腕から抜け出した。

「お前は、お前が思ってるより、スゲー奴だよ。たまになら、俺が歌ってやるし」
「…ありがとう」
「一緒にやってやっても良いぞ、イベントで、歌ってやっても良い」
「え、ナツメ君が歌ってくれるの?」
「勿論、シークレット的な感じで!どうすんだ、やるのか!?やんないのか!?」
「や、やる!」
「よし!これで誰にも撫でくり回される必要はなくなるな!」

流れるように決を取り、嬉そうに部屋を出て行くナツメは、二本の尻尾もご機嫌だ。
そうか、猫カフェをやらされるのが嫌で、こんな提案してきたのか。そう納得したが、真相がどうあれ、それでもなずなは嬉しかった。

もう一度、この曲が日の目を見れる。
これできっと、夢を過去として、新たな一歩が踏み出せるかもしれない。

ただ、一つだけ気がかりがある。
いくらこの曲が不必要とされても、これは仲間達と積み重ねてきた曲だ。
なずな一人の曲ではない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?