メゾン・ド・モナコ 44
そのフウカの様子に、なずなは不思議そうに小首を傾げたが、電話の向こうからの呼び掛けに、意識をそちらに戻した。
「ごめん、お母さん。それで角切りってどうやるんだっけ」
電話口の向こうで、なずなの母親が大きく溜め息を吐いたようだ。
『あんたは本当に、何でそんなことも分かんないの』
「しょうがないじゃん、分かんないだから」
『これはあれね、母さんのスパルタレッスンが必要ね、電話じゃ埒が明かないから、一度こっちにいらっしゃい!』
「そうしたいけど、今…なんかバタバタしててさ」
なずなの両親も都内に住んでいるので、電車で簡単に行って帰ってこられが、火の玉騒動の件もある、一人で行っていいのか悩みどころだ。
「じゃ、動画撮って送ってよ!」
『嫌よ、それこそ面倒じゃないの』
やいのやいの言い合いながら、口頭での料理レッスンは続く。母も仕事をしているので、母の休みの日はこうして電話をし、高野家のレシピや基礎を教えて貰っているのだが、何故か、なずなが作るよりもフウカが作る方が、我が家の味に近いのが、なずなは不思議でしょうがなかった。
『あんたはとにかく、やって慣れる他ないわよ、カレーすらまともに作れないんだから。そうよ、まずはカレーとかにしたら?食材を切って、煮込むだけよ。カレー粉の箱の裏に作り方書いてあるでしょ?その通りにやれば良いんだから』
「分かった、そうする…」
ちら、とシンクの上を見る。丁度じゃがいもに人参、玉ねぎが転がっている。冷蔵庫には鶏肉も余っていた筈、カレー粉も少し余っていたが、これでは足りないかもしれない。
「ね、隠し味は?コーヒーとかチョコとかソースいれたりするんでしょ?」
『駄目よ!絶対駄目!あんたが何か手を加えるとカレーじゃなくなるんだから!そもそも皮むきすらろくに出来なくて実が無くなるのに、美味しく出来るレシピに手を加えるなんて百年早いんだからね!』
以前、フウカが隠し味を入れていた事を思い出して進言したのが、圧倒的な熱量で却下された。当然だ、分量通りを心掛けて料理を作っても、まともな味になった事がないのだから。
しょげるなずなに、母親はこの日何度目か分からない溜め息を吐いた。
『そうだ、おばあちゃんのお見舞い最近行ってる?頻繁に顔見せてたのに、顔見せなくなったから心配してたわよ、何か頼まれてるんでしょ?無理言っちゃったかなって言ってたわよ』
頼まれ事とは、手紙の事だろう。春風は何か知っているようだが、それを教えて貰う為には、火の玉騒動の犯人を捕まえ、アパートの住人が人と交流を持たなければならない。
祖母に心配をかけては元も子もないが、まだ何の成果も得られていない状態だ、出来れば、良い結果を持って祖母に会いに行きたいが、このままでも心配させてしまうなら、一度報告に行った方が良いかもしれない。
「無理なんかじゃ全然ないよ、落ち着いたら必ず行く」
ただ、一人では出歩くなと言われているので、まずは春風に相談した方が良いだろう。
『うちにも顔出しなさいよ』
「うん、分かった」
『じゃあね、体に気をつけるのよ。…絶対料理に変なもの入れちゃ駄目よ!』
「分かってるってば!じゃあね!」
もう、と膨れて電話を切る。顔を上げたところで、二階から降りてきたフウカと目が合った。
「フウカさん、私買い物に行きたいんですが」
「俺が行きますよ、もう遅いですし」
とはいえ、まだ十七時を回ったくらいだ。恐らく、火の玉騒動もあり、なずなを心配してくれての事だろう。
「じゃあ、一緒に行ってもいいですか?勉強になりますし」
「勉強…ですか?」
「はい、野菜やお肉の見分け方とか!」
なずなは食材の良し悪しもいまいち見抜けない。たまに、悩んで悩んで、あえて傷んだ野菜を買ってきたりする事があり、困惑した様子のフウカを見たのも、一度や二度ではない。
「…私が言い出しっぺなので、レストランのお手伝いしたいんです。この広い、綺麗なアパートがレストランになるところを見てみたいんです」
お願いします、となずなは頭を下げれば、フウカは眉を下げ、笑って頷いた。
「分かりました、一緒に行きましょう」
「はい!今準備してきます!」
嬉しそうに部屋に駆けて行くなずなは、フウカがこっそり溜め息を吐いた事に気づかなかった。