年始のセールでコートを買ってほしい。
今年のものは絶対に今年に着たい!というほどミーハーではないので、だいたいコートは年始のセールで買う。
そのコートが本領発揮するのは、次の冬シーズンなので、あまり攻めたコートを買ってしまうと、さてさて、いざ着てやろうと思う頃には、過ぎ去った流行をまとうことになってしまう点が注意点である。(それで結局無難なコートしか買えないというループから脱却したい。)
コートだけでなく、服ってだいたい少し先の季節で着るものを買う。
この間、今着るには少し寒い薄手のスカートを買った時、あぁ〜服を買えるのって、それを着る季節に自分がいるのが当たり前だからなんだなと思った。
だから年始にコートを買えるのは、季節が一周回った先も自分が生きているって思えている証拠だったりする。
私の母は今闘病中だ。
あくまで治すための、前向きな治療なのだけれど、病と向き合うのはやっぱりものすごく、力がいる。
心も体も少しずつ、じりじりすり減らされる。
きっと私が感じているより、実際はもっと。
母は強い。
まさに荒波を乗り越えてきた、というような人生。本当にたくましい人だなぁと思う。
でも、そんな母にとっても、病は強敵のようで、夜な夜なこっそり瀬戸内寂聴の本を読んだり、がん患者のドキュメンタリーを録画して観たり、物やお金の整理をしたりしていることを、私は知っていて、知らないふりをしている。
母の強がりに気づかないふりを続けている。
でも多分、知らんぷりはばれているし、母も下手で不器用なので、冗談交じりに笑いながら弱音を吐くことが増えた。
母と買い物に行ったとき、ぽつりと、
「もう服はいらないかもな」と漏らされたことがある。
なんか、どんな言葉よりも悲しくなって、危うく立川のルミネで泣くところだった。
誰かに何かを求めるのは違うと思うし、母に今、何かを求めるのは尚更違うと思う。
でも、「今年こそセールでコートを買おう」と言ってくれたらいいなぁ~言ってくれないかな~というのだけ、唯一願ってしまう。
そのわがままくらいは上手に隠しておこう。
強がりな母に似て、わたしもなかなか素直ではないから、これはきっと結婚して家を出るとか、そのくらいの出来事がなければ無理だなぁと思うのだけれど、唯一の将来の夢が、母のような最強なママになることだということは、ちゃんと伝えられたらいいなぁ、と密かに思っている。
そしてあわよくば、母が明日も生きていこうと思える何かを渡せる日が来るといいなぁ、と思う。
きっとそれは季節が2,3歩先に行っているディスプレイではないはずだから。