キョロ充が「絶望の国の幸福な若者たち」を読むべき理由。
キョロ充がこれを読む意味
意識高く、承認欲求に対して必死になってる自分を一度俯瞰的になるためにこの本を読むべき。この本を読めばすこしだけ悟れた気分になる。必死になる必要はないとおもえてくる。だってみんな考えてることは同じだから。
その上で自分という人間がどういうものであるかじっくり考えればいい。この本はそれを手助けする道具だ。
今回の記事はラインで友達に送った内容を張っています。ラインを読むようなテンションで読んでください。
別に不幸じゃない若者たち
少子化や年金の問題が若者にのしかかってるのにもかかわらず、現代の若者の幸福度は高いよね、って話。これが結論。
結局「いまここ」が満足ならそれで幸せだし、友達と楽しく過ごせれば別に貧困層でも平気ってゆー。
若者が大変と言われてるけど、社会保障問題とかは若者が若者じゃ無くなったときに起こるから若者は到底想像できないよねー、むしろ承認欲求を追求するために金使う方が幸福度は高いよねってゆーてた。
幸福度は高いけど、不安も高いって調査で出てるけど、それは人間関係が主な話題らしいー。
相対的剥奪という観点から見た若者
あとは相対的剥奪っていう考え方から見ても若者は幸せやねって話もあった。
相対的剥奪とは、自分よりも裕福な人を見たときに「その人はその人、自分は自分」っていう見方をするらしいから相対的な不満も抱かないらしい
つまり金持ちをもはや「別の世界の人」と考えるらしい。
自分たちの視点から「あの人はもう育ちが違うから…」ってゆーてきっぱり切り分けるのが若者らしい
モラルエコノミーという観点からみた若者
あとは「モラルエコノミー」っていう考えもしれた。
これは何かというと、
自分の生活に関わるまで人は文句言わないよねーって考え方。
例えば「年金制度はうまく機能しなくなりますー!投票率が低くて高齢者向けの政治になってますー!!」
って警告訴えてもおれらは「でも別にwi-fiあるしスマホあるし、友達と月末にボードゲームで遊んでるし困ってないよ?」っていうモラルエコノミーの考えが発生しちゃう。
もし政府がみんなのために本当にいい政策を打ち出した時に、スーパーの品々の値段が高騰して生活に支障がでたら、国民はキレて挙げ句の果てに暴動を起こしちゃう。本当はみんなのためなのに生活に関わるから国民がブチ切れる。これがモラルエコノミー。
村々する若者がムラムラし始める
そこからまぁ社会学者っぽい説明の切り口で「村々する若者がムラムラし始める」っていう話をしてて
今の日本の若者は国に捧げる生き物じゃなくなって今の周りとの繋がりを大事にするようになったねってゆーてる。
これはナショナリズムの前の中世の時みたいに村での生活を大事にするようになったねと「中世の復活」を説いてた。
と同時に、オリンピックで渋谷の交差点ではしゃいで「日本頑張れ」っていう若者や、東日本大震災でボランティアに若者が積極的に行って「日本が好きになれた」っていう若者が出てきたのは何故だろう?ってなった
そこで古市さん(著者)の考えとして村々した若者が「日本大好き」っていうのは別に真剣に日本に尽くすわけではない。結局それらの国に向けた発言は自分個人の満足のためである、ってゆーてた。
要するに、日々の生活で飽き飽きした若者がちょうどいい消費としての「日本の応援」をしてる、っていう。東日本大震災のボランティアも非日常の刺激として、貢献の快感として、若者が言ってるんじゃないか?っていう考察(もちろん不謹慎な表現ではあるが分析のために記した、との断りはいれている)。
現状当時の今でも(2011年に書かれた本だけど)ボランティアが急激に減ってるらしいって
刺激が得たいというムラムラにかられた村々した若者が、その消化手段として「日本大好き」行動をとるよねって話もあった