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正社員辞めるからマルクス読むと労働者の起源にたどり着いた話 10

こんにちは、ばっきーです。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。パート10
です。
今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。
ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります
書いていて思ったんですけど、わかるところは書いておりません。
これどういう意味なんだろう?と疑問に思ったところを取り上げてたりしてます。
あとは自分の理解ってこれであっていますか?という感じで書いています。
ではいきますね。
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資本論第3巻 p204まできました。
実はいまから書く前に、以前にカフェで少し読み進めていました。

こんな感じです。
ノートと取るときは自分の頭に中で喋っている言葉も書き下ろしてます。

マルクス読んでて思うけど、

言葉が難しいことゆってるから毎回毎回翻訳し直さないといけないのがめんどくさいなぁと思います。間違ったこと言わないために言葉の抽象度を上げていると思うんですけどね。

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第3巻のぐらいから人口の話にフォーカスが当てられます。

「相対的過剰人口」という言葉は頻繁に出てきます。
これはなんでしょうか。

30秒に一回の配分でマルクスおじさんが口にする言葉です。


相対的過剰人口

相対的過剰人口(そうたいてきかじょうじんこう、英:relative surplus-population)は、マルクス経済学の用語。資本の有機的構成の高度化が資本蓄積の多くの局面で進むことにより、可変資本で購入する労働力の一部が過剰なものとなる。こうしたプロセスによって生み出される失業者を、相対的過剰人口という。産業予備軍とも呼ばれ、景気循環における好況時には労働力の需要の増加分をまかない、一方では、一定の失業者を出しておくことで労働者の使用人に対する発言力を弱める効果があるとされる。カール・マルクスはその主著資本論第1部第23章において、相対的超過人口を「資本蓄積の敵対」として説明し、自著の『哲学の貧困』の「生産関係に由来するブルショワジーの富の生産とプロレタリアートの貧困の生産の対比が生まれる」点を引用している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/相対的過剰人口

資本主義社会において失業者・半失業者として存在する過剰人口をいう。こうした過剰人口は、労働者人口の雇用手段である可変資本増加よりも急激な労働者人口の絶対的増加のようにみえるが、そうではなく資本制的蓄積過程の必然的な産物である。資本の蓄積の進展、すなわち剰余価値の資本への再転化によって資本と生産の規模が拡大し、資本・賃労働関係が拡大再生産されていくが、この場合、基調として労働生産力が発展し、資本の有機的構成が高度化していくので、社会的総資本のうち可変資本部分の占める比率は累進的に減少する。蓄積による社会的総資本の増加につれて可変資本部分も絶対額としては増加し、雇用される労働者も増加しはするが、資本の有機的構成の高度化に伴って現在の雇用労働者を雇用し続け、さらに追加労働者数を吸収するためには、累進的に加速される総資本の蓄積が必要であり、またこの蓄積そのものが資本の有機的構成をいっそう高度化させる契機となるため、雇用労働者の増加もしだいに実現しにくくなる。こうして可変資本部分の増加率が累減することによって労働者人口の一部が過剰となる。このようにして資本制的蓄積がその中位の蓄積テンポに比して過剰な、相対的過剰人口を生み出すのである。相対的過剰人口は、資本の転変常なき増殖欲のために現実的人口増加の制限にかかわりなく自由に利用できる産業予備軍をなすと同時に、その絶えざる存在は、現役労働者の重石(おもし)となり、賃金を資本の増殖欲に照応する範囲内に押しとどめ、労働に対する資本の専制支配確立のてことなる。相対的過剰人口には、産業循環の周期的変動に規定された周期的形態を別とすれば、近代産業の中心地において産業構造の変化などに伴って資本から遊離される流動的過剰人口、農業の機械化に伴って生産から遊離され都市への流出を待ち構えている潜在的過剰人口、就業状態の不規則な停滞的過剰人口の三つの形態があり、そしてその底に受救貧民が存在する。
[二瓶 敏]

https://kotobank.jp/word/相対的過剰人口-552842

「こうして可変資本部分の増加率が累減することによって労働者人口の一部が過剰となる。」


「労働者人口の一部が過剰となる」ってどういうこと?

かじょう
【過剰】《名ノナ》多すぎて余ること。 「自信―」

グーグル検索

ああ、そういうことか。

過剰って言葉の意味俺捉え間違えてた。

今まで、過剰が「余るほど多い」っていう「多い」という部分が主役だと思ってたけど、「多すぎて余る」という「余る」という現象に主役がおいてたのね。

なるほど。

だからはじめは「労働者人口の一部が過剰になる」っていうのが「労働者人口のいち部分が余るほど多い」って捉えてた。

そうではなくて「人口の一部が多すぎて余ってしまう」ということなのね。
あーじゃあ読めた。

どうしましょうか、上記のコトバンクの用語説明をわかりやすく説明しましょうか。

資本主義社会において失業者・半失業者として存在する過剰人口をいう。

これは資本主義社会で失業者のことを「働き手が多すぎて余ってしまった人たち」と捉えてください。

こうした過剰人口は、労働者人口の雇用手段である可変資本増加よりも急激な労働者人口の絶対的増加のようにみえるが、そうではなく資本制的蓄積過程の必然的な産物である。

こうした「働き手が多すぎて、雇われなくて余ってしまった失業者(=過剰人口)」は、労働者を雇う量(=可変資本)の増加よりも、雇われる人たちの人口が絶対的な総量が増えたように見えるが、そうじゃなくてより儲けを生み出すための資本蓄積をする過程の中で、必ず生じてくる現象なんですよ、という意味です。


資本の蓄積の進展、すなわち剰余価値の資本への再転化によって資本と生産の規模が拡大し、資本・賃労働関係が拡大再生産されていくが、

儲けたお金でさらに最新の製造機械を買って、もっと人を雇うこと(=資本の蓄積の進展、すなわち剰余価値の資本への再転化)で、利益や生産量が増えて、どんどん雇う人も増えていくが、

という意味です。



この場合、基調として労働生産力が発展し、資本の有機的構成が高度化していくので、社会的総資本のうち可変資本部分の占める比率は累進的に減少する。

こうやって工場が儲けて生産量が増えると、効率的に儲かるための工場の組織(=資本の有機的構成←これはマルクス単語ですね。)が高度化していきます。

有機的構成というのは、労働者に金を投資することを「可変資本」と名付けていて、それ以外の製造マシンなどのことを「不変資本」と名付けています。

だから

工場に投資する割合の内、労働者に投資する割合は製造マシンに投資する割合に比べて相対的に徐々に減少します

これ「相対的に」がキーポイントです。

例えば。

製造機械が一つあります。
製造機械を動かすのに一人の労働者がいります。

とします。

製造機械を一つ買うのに2000万円します。
労働者一ヶ月買うのに20万円します。

ここでの投資額2020万円の比率を見てみましょう。

2000:20 の比率ですね。
100:1の比率ですよね?

これで儲けました。さてもっと工場大きくしていきたいです。

新型の製造機械が一つ4000万円するモノを二つ買います。合計で8000万円です。
労働者を新たに二人雇います。40万円です。

ここまでの比率を見てみると、1億60万円の投資の内
1億円はマシンに、そしてたった60万円が人件費です。

100000000:60なので

5000000:3 の比率ですよね。

単純計算間違ってたらごめんなさい
労働者数は絶対的にあがっているけど、これ相対的にはどんどん減っていきます。

でしかも、相対的に人件費を減らす方法って、なにも人数を調整するだけじゃなくて「賃金も下げる」ことも一つの方法なんですね。



蓄積による社会的総資本の増加につれて可変資本部分も絶対額としては増加し、雇用される労働者も増加しはするが、資本の有機的構成の高度化に伴って現在の雇用労働者を雇用し続け、さらに追加労働者数を吸収するためには、累進的に加速される総資本の蓄積が必要であり、またこの蓄積そのものが資本の有機的構成をいっそう高度化させる契機となるため、雇用労働者の増加もしだいに実現しにくくなる。こうして可変資本部分の増加率が累減することによって労働者人口の一部が過剰となる。

「有機的構成を高度化させる」っていうのは

ゆーたら、

資本家クン/経営家クン「製造マシンってコスパいいし儲かるしこっちにじゃんじゃん投資して、人件費はなるべく抑えたいな―笑」

ということです。

こうなると、労働人口という視点でも相対的に労働者が余ってしまいます

これってどんな感じなんでしょうね。

「いやー、就職できる人はそりゃ年々増えていってきてるんだけど、なんだろう。儲かる市場規模の割には全然労働者増えてなくない?

本来ならもっと労働者って雇われているはずで、こんなには失業者出ないよね??

という感覚なのかしら。



このようにして資本制的蓄積がその中位の蓄積テンポに比して過剰な、相対的過剰人口を生み出すのである。相対的過剰人口は、資本の転変常なき増殖欲のために現実的人口増加の制限にかかわりなく自由に利用できる産業予備軍をなすと同時に、その絶えざる存在は、現役労働者の重石(おもし)となり、賃金を資本の増殖欲に照応する範囲内に押しとどめ、労働に対する資本の専制支配確立のてことなる。

失業者とは、つまり「市場規模の大きさや会社の売上の大きさを見てみると直感的には本来はもっと雇われてもおかしくはなかったが雇われなかった余った人たち」ということになるんですかね。

これが相対的過剰人口だと。

ちなみに次の部分は、失業者は「代替可能な社会の歯車」ですので、今現在働いている人はどんどん会社の奴隷になるのですね。

なぜならば会社から「お前のかわりなんていくらでもいるんだぞ(ニッコリ)」なんて言われた日にはおしまいですから会社様様になりますよね。

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かくして、生産者を賃金労働者に転化する歴史的運動は、一面では農奴的隷属と同職組合強制からの彼らの解放として現われる。

資本論第3巻p342

大事な部分として残しました。

じゃあ苦しみを生み出した資本主義の根源はいったいどこなのか??
原罪はいつどこであったのか?

上記が答えです。

職業や、奴隷という存在から解放されたと同時に、生産者は自分を売り始めたのです。

つまり「自由であること」が労働者のきっかけなのです。

労働者と資本家は形的には対等の関係です。労働力という商品と銀行券の等価交換ですので。

お互いが自由の意思のもとに成り立っている等価交換です。

今日はp342まですすみました。
p100ほどすすみましたね。

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