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「なぜ生きるのか」の解像度が上がったの巻

あるところに、「人生は自分探しの旅だ」と思って生きている人がいました。

その人は自分が「なにか」に突き動かされて、学校に行ったり、塾の先生をしたり、お芝居をやったり、畑仕事をしたり、多文化共生について考えたり、よりたくさんの人とお話したいと願ったり、でもその原動力となる「なにか」を見つけられずにいました。

「なにか」が見つからないと自分探しの旅はスタートしないのではないか、と思い始めた矢先、その人はある言葉からよく考えました。


知らないって幸せなことなんだよ。


よくわからなかったのです。「知らない」が幸せだったら、「知っている」は不幸せなのか。「知らない」を不幸せと捉えたり、全部を「知っている」がつまらないと考えたり、色々だろうとぐるぐる考え始めたのです。


さて、お話の舞台は整いました。本題に入っていきます。

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懐かしい風景ははじまりって感じがする

まず言葉が難しい。幸せって自分で測りたいから、ここからは「私」を一人称に、語り言葉は書き言葉にして言葉を紡いでいきたい。私の私による私のための言葉になる予定。そしてタイトルの「なぜ生きるのか」に話をつなげていく。

まず「知らないって幸せなことなんだよ。」の前後のお話をする。私は大学でクルド人難民家族の話を聞いた。

彼らは日本に受け入れられず、抗議のために国連大学の前で座り込みをし、結局家族のうちふたりが強制送還を命じられた。そして残された家族が日本人に対して「こんな国にいてかわいそう」と言った瞬間、私の心が締め付けられた。

その出来事を共有した際、相手の言った言葉が、あれだった。

「ほとんどの人は難民に目を掛けない。それでも生きていられるって幸せなことなんだよ。知らないって幸せなことなんだよ。」

言わんとしていることはわかる。国を追い出され、行き場を失い、明日生きられる保障のない人の気持ちがわからないのは自分が恵まれているからだという。

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一応共有しておくと、私にとって幸せはあったかいこと。押し付けるのではなく、ただ幸せを共有し合うと自分の幸せの深みが増すからぜひ誰かと共有し合うことをおすすめしたい、そしてなんとこのカップのかわいいこと。

では幸せはひとそれぞれなんだ、恵まれた環境に生まれ育ったことに感謝しようという意見でまとまりそうだがそれで一件落着にはならない。させない。

知ってしまった責任にどう向き合うか、これが生きていてしんどいところだと私は考える。何したらいいかわからなくなったり、自分の無力さを知ったりするからだ。そして向き合う中で自分がどんな立場にいるのだろうと探すことが生きているということかもしれない。


そうしたら唐突に、生きるって何?なぜ生きるの?と生きる目的を問うのではなくどうしたら生きていられるかの方法を考えるのが生きる気力になりそうだと気が付いた。その答えが私にとって「知らない世界を知る」ことなのだ。


だから、こんな物語がここから始まるんだ。

あるところに、「人生は自分探しの旅だ」と思って生きていた人がいます。

でもその人はものすごく知りたがりだから、自分ではそうぞうできない分野の話を求めて学校に行ったり、どうしたら放課後の時間を塾に費やすこどもが楽しくそこに来られるか模索して塾の先生をしたり、まだ見たことない景色をみたくてお芝居をやったり、命の輝きを知りたくて畑仕事をしたり、困っているひとがどこにどれだけいて何を望んでいるのか把握したくて多文化共生について考えたり、それでもまだまだ知らないことがあるのだと思ってよりたくさんの人とお話したいと願ったり、自分探しは生きる目的ではなく手段だと薄々気が付き始めました。

その人はなぜ生きるのか→「自分を見つけるため」と考えるのをやめて、どうしたら生きていけるのかを考えました。

「もっと広い世界を知る」と答えを出してその人は歩み始めています。


ここ一年かけて整備した、私の生きる道。


知らない世界を知ることで何が待っているかわからない。だから生きるって楽しいんだなと楽観的に考える。

……ただこれは歩み始めでしかない。知ってどうするかを考えられることが次に私が到達したい地点。はっくしょん、季節の変わり目、初夏。


「~の巻」と言ってるのは、次のお題は何にしようかなと考えているから。




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