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【自分を信じる勇気】同国のレジェンドから最高のキャリアパスを授かる!!!マリン・チリッチのヒストリー#73

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は「GS優勝者がいないから無理!」の仮説を「GS優勝した選手はどうやって育ってきたの?」を「幼少期〜ジュニア期/22歳程度/GS初優勝歳」までにどのような活動をしていたのか調べていきます。(2021.09.25現在、2022.08.29 ランキング・年表等更新)


※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。


マリン・チリッチ
シンプルで綺麗なテニスが特徴。強烈なサーブとフォアハンドの攻撃でポイントを奪取するプレースタイル。フォア側に振られた時のフォアハンドのショートクロスが素晴らしい選手。ACミランのファン。

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「7歳でテニス開始し、14歳から留学」

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2005年Jr.GS・Fで優勝するチラ

 1988年9月28日BiHのメジュゴリエでワインとタバコ農場を経営する父と銀行員の母のもとうまれました。7歳の頃に従兄弟とテニスをしたことでテニスをスタートしました。
 ジュニアの国際大会デビューは12.11歳で14歳になると故郷を離れ、ザグレブのナショナルトレーニングセンターで練習をする為、拠点を変更しました。拠点変更後、同国のレジェンドG.イバニセビッチが現地を訪れ、チラに「世界TOP10に入ることができる」と伝えました。そして自身のコーチでもあった、B.ブレッドによる指導を開始するために「ボブブレッドスクールオブテニス」がある、イタリアのサンレモへ15歳で拠点を変更しました。
 ジュニア時代の成績は35大会で83勝27敗退(勝率75%)でジュニアのキャリアハイ1位やJr GS・Fでの優勝を経験しました。

 
「19歳でTOP100を達成」

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19.10歳でニューヘブン250でツアー初優勝

 ジュニアと並行しながら、16歳WCでツアーデビュー、フューチャーズで初優勝をするなど、新人の頃から結果を出しました。
 2007年1月18.3歳のGS・Aでは予選から勝ち上がりGS初出場を達成しました。この年は、5月のGS・Fまではチャレンジャーを主体に活動をしていましたが、GS・F出場後はツアーを主戦場に切り替えました。6月ロンドン250でT.ヘンマン[50]らを下しQF、9月北京250ではN.ダビデンコ[4]を倒しました。2007年最後の大会では、再度N.ダビデンコ[4]に勝利し、Eガルビス[47]を撃破しSFへ進出し、170位から開始したランキングを71位で終えました。(TOP100を切ったのは、2007年10月19歳)

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「25.10歳GS初優勝」

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2014年GS・UでGS初優勝


 初めて、TOP10を切ったのは、2010年2月21.4歳で10位す。その後9位まで上げますが、25歳の頃には45位までランキングを下げました。
(ドーピング検査により陽性反応が出たことで4ヶ月ツアー停止)
 2013年6月には9年間コーチを努めたB.ブレッドからG.イバニセビッチがコーチとなりました。その影響もあり、2014年2月から上昇気流に乗りました。2月の1ヶ月間で3大会で好成績を出しました。ザグレブ250で1年ぶりのタイトル(連覇)、ロッテルダム500では、J.ツォンガ[10]、A.マレー[6]を下し準優勝、デルレイビーチ250で優勝しました。
 その後の3ヶ月は2、3回戦で敗退が多くなりますが、6月GS・WでQF進出しサーマーシズンもまずますの成績で過ごし、GS・Uに突入しました。
 SFでは、5試合連続連敗で未勝利だったR.フェデラー[3]に勝利、初のGS決勝へ進出し決勝戦で錦織圭[11]を下してGS初優勝を達成したのは25.10歳でした。
 
 GS優勝をした夏のシーズンでパフォーマンスを発揮できたのは、ツアー停止の4ヶ月の中で、「精神的に成熟し、余分な考えを省くことができたことでキャリアについて考え直すきっかけになった」からでした。
 そして、コーチとなったG.イバニセビッチからは「サーブの改善と精神的な強さ」に対する改善のきっかけを与えられ「自分を信じる勇気」を得たことでGS制覇につなげました。

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 14歳で故郷から500km離れたクロアチアの首都ザグレブに移り、そこでG.イバニセビッチに才能を見出され、B.ブレッドの指導を受けるためにイタリアへ留学をしました。その結果、2005年にJr GS・Fでの優勝を達成しました。その後、不意なツアー離脱によりランキングを落としましたが、その逆境を活かし、自身の才能を見出してくれた、G.イバニセビッチのメンターとしての精神的なサポートが実り、GS初制覇へつなげました。
 その後も2017年GS・Wと2018年GS・Aで決勝に進出しますが、それぞれR.フェデラー[2]に敗退しましたが、2018年GS・Aの後はキャリアハイの3位に29.4歳で到達しました。
 近年は怪我での離脱も多いですが、2008年以降毎年タイトルを獲得(2019年、2020年はタイトルなし)している猛者として、これからも強力なサーブとシンプルで効果的なプレースタイルで相手に勝利してく姿を楽しみにしています。レジェンドのG.イバニセビッチの最高位2位とGSタイトルの数をそれぞれ1つづつ追い越し、クロアチア最高成績の選手になることを期待しています。

 

記録
✴︎2021年シュトゥツガルド250で19個目のタイトル獲得。ファーストサーブが入った時に100%の確率で3選手に勝利した初の選手(1991年本大会開催以来)
✴︎キャリア最大の勝利は、2016年パリ1000でN.ジョコビッチ[1]、2018年GS・AでR.ナダル[1]

 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。

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PS.G.イバニセビッチ、B.ブレッドから教わったコト、それ以前のコーチからどのような指導を受けたのか伺いたいです。


〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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