【日本史上最高選手】日本だけはなくアジアを救う悲願の選手!?錦織圭のヒストリー#99
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
今回は、「圭」の愛称で呼ばれている、日本人の錦織圭選手についてご紹介です。
この記事では、「日本の選手は世界で活躍できる?」と言う疑問に対して、圭が今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.10.29現在、2022.09.19ランキング・年表等更新)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
錦織圭
日本史上最高のテニス選手。攻撃的で華やかなショットはどんな相手のディフェンスを突き破る。最終セット奪取りつは歴代5位でスキルと精神的な強さを兼ね備えた選手。サッカーとバスケが好き。
「5歳テニスを始め、13歳でIMGへ留学!」
12歳頃のフォアハンド
1988年5月18日島根県松江市で土木のエンジニアの父とピアノの先生の母のもと生まれました。テニスを始めたきっかけは、父が社員旅行でハワイでみつけた子供用のラケットをお土産として日本に持って帰ってきたことでした。
幼少期は、水泳、野球、サッカーなど習い事をしていました。特にサッカーは小5年生まで続けていました。
テニスは5歳で家族でテニスを始め、6歳から13歳までグリーンテニスクラブで柏井正樹コーチの指導を受けました。
小学生の頃に全国大会で優勝をしたことで、MMTFにより13歳からIMGへ留学をするためアメリカのフロリダ州を拠点に現在まで活動をしています。
ジュニアの国際大会デビューは12.3歳から16.8歳で42大会出場83勝43敗(勝率66%)でキャリアハイは7位でした。
「18.1歳でツアー初優勝」
18.1歳でデルレイビーチ250でツアー初優勝
ジュニアの活動を終えてからシニアの活動に切り替え、17歳でプロ転校後一気にシニアの大会を駆けまわりました。2007年3月にフューチャーズデビューから4ヶ月後にはロサンゼルス250で予選を突破しツアーデビューを17.6歳で達成しました。
2008年はさらに飛躍し、2月デルレイビーチでは予選突破からJ.ブレイク[12]を下しツアー初優勝を18.1歳で達成し、日本人として松岡修造さん以来16年ぶりのツアータイトルを獲得しました。
その後もツアーの予選や本戦に参加をしながら着実に経験値をため、6月GS・WでGS初出場を18.5歳で達成、8月GS・UではD.フェレール[4]に勝利し4回戦まで出場しました。2008年は286位でスタートし63位まで一気に駆け上がることができました。
「21.9歳で世界No1へ勝利」
2011年10月21.9歳でN.ジョコビッチ[1]に勝利
デビューから華々しい活躍をしていましたが、2009年3月から11ヶ月の間、右肘の負傷により離脱し、ランキングも418位まで下がってしまいました。2010年2月から復帰し、ツアー11大会、チャレンジャー8大会に出場し98位までランキングを戻しました。
2011年は、一気にTOP選手の仲間入りを達成した年になります。シーズン開幕から250レベルではQFやSFへ進出し、4月ヒューストン250ではM.フィッシュ[11]らを下して決勝進出をするなど好成績で発進しました。夏のヨーロッパ・アメリカシーズンでは勝ち進めずいましたが、9月のクアラルンプール250でN.アルマグロ[11]に勝利しSF、10月上海1000ではJ.ツォンガ[8]に勝利してSF、バーゼル500ではT.ベルディヒ[7]、N.ジョコビッチ[1]に勝利し決勝進出をしました。
2011年の活躍により、10月に日本人最高位の松岡さんの46位を21.9歳で抜き、日本人で初めて世界ランキング1位の選手に勝利という快挙を達成しました。
この後も日本人初の快挙であるTOP10切りを24.4歳、GS決勝進出を24.8歳、キャリアハイの4位を25.2歳と立て続けに記録を更新し続けました。
この活躍の背景には、「プロを目指すためには良い環境を提供しなきゃいけない」と思っていた父のサポートがあります。アメリカに行った時には「ホッとした。これで自分の役目は果たした」と語っています。5歳から13歳までのサポートに全力で取り組んだことが伺える言葉です。
そして、もう1人6歳〜13歳まで指導をした柏井コーチは「世界でプレーするのを前提に、強い気持ちを教えてくれた最初の土台を作ってくれた」と語り、地方からでも世界で活躍できると言い続けたコーチです。柏井コーチは、ジュニアの子供たちが自分で正解を導けるような指導をしてきたことで、想像力豊かなテニスを育つきっかけを作りました。
日本史上最高の選手として現在も世界で活躍を続けています。日本人だけではなくアジア人からも注目され、憧れる存在となりました。アジアのテニスファンが切望するのは、GSのタイトルと世界1位です。アジア人の懇願である2つの目標に限りなく近づいたアジア人初の選手として、ベテランとなった今からもうひと伸びを期待しています。
今後もエンターテイメント性抜群のフィニッシュ力、最終セットで負けない精神力を発揮しアジア人の悲願を達成する瞬間を楽しみにしています。
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
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記録
✴︎2008年デルレイビーチ250に244位で予選から参加し優勝は、1998年アデレード優勝のL.ヒューイット16歳以来の快挙
✴︎アジア人で初めてのGSファイナリスト
✴︎アジア人最高位4位達成
✴︎ツアー通算400勝利達成
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PS.日本人が世界ランキング1位やGS優勝をするために幼少期からどのようなプランを組むのか伺いたいです!
〜CC(Change Court)について〜
CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
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