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【魔法のタクトで相手を沈める】アーティスティクなシングルハンドで相手を惑わす!?リシャール・ガスケのヒストリー#25

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「リシャール」の愛称で呼ばれている、フランス人のリシャール・ガスケ選手についてご紹介です。
 この記事では、母国フランスで「小さなモーツァルト」と呼ばれ、幼少期から天才や神童と呼ばれてきた、リシャールが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.07.22現在、2022.08.15 ランキング・年表等更新)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

リシャール・ガスケ
数々の最年少記録を打ち立てるほど、若い頃からフランス国内外で天才と言われ続けてきた選手。魔法のような変幻自在のバックハンド一振りで相手を沈めるプレーが特徴。イタリア料理が好き。


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「4歳でテニスを始め、14歳で一家でパリへ!」

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当時9歳リシャールが掲載されたフランスのテニスマガジン 

 1986年6月18日フランスのベジエで産まれ、テニスクラブの運営とコーチを行う父と同じくテニスコーチの母の影響で4歳からテニスを始めました。幼少の頃から1つ上のカテゴリーの大会(Ex 10歳以下のトーナメントであれば12歳以下に出場)で活動し、9歳の頃にはフランスのテニスマガジンの表紙で「フランスが待ち望んでいる王者」のタイトルでフランス国内に名前を広めるほど、天才少年として称賛される幼少時代でした。
 リシャールの父フランシスは2001年10月リシャールが15.3歳で息子の成長やフランステニス連盟の仕事の依頼により、経営していたテニスクラブを手放し、実家のある南仏のベジエから北に750km程離れた、首都パリにあるローランギャロステニスクラブでリシャールがトレーニングを受けフランシスはフランステニス連盟でスポーツマネジメントに関わる仕事を行うことで一家でパリに引っ越しました。
  

「ジュニア時代と並行したシニアの活躍」

モンテさん

15.9歳モンテカルロ1000でプレーする姿


 ジュニア時代は国際大会に13回出場し、全52試合で44勝8敗勝率84.6%5大会優勝をしました。ジュニア最後の大会であるGS・ Uを優勝したのは2002年9月で16.2歳ですが、リシャールはこの大会で優勝する前からシニアの大会と並行していました。
 2001年9月15.2歳でフューチャズに初出場、2002年4月15.9歳で予選を勝ち抜きモンテカルロ1000でツアーデビュー、1回戦でF.スクラーリ[54]に勝利し、ツアー史上最年少での1000レベルの勝利の記録となりました。さらには、15.10歳でフューチャーズ初優勝、15.11歳WCでGS・FでGS初出場をし初戦で優勝したA.コスタ[22]に敗戦しました。2002年7月16歳にはチャレンジャー初出場で初優勝をしており、16歳までに年少記録を次々達成したことで、2002年17歳でランキングは161位、2003年18歳で93位に入りました。


「21歳でTOP10!!!」

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R.フェデラーに勝利後の姿。最後のショットはバックハンドダウンザライン

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2005~2008シーズンの間でTOP30の選手への勝利表


 2004のシーズンまではツアーとチャレンジャーを並行して転戦をしていましたが、2005年4月18.9歳からツアーに絞って参戦していきました。4月に開催されたモンテカルロ1000では初めて世界ランク1位のR.フェデラーに勝利しSF進出、ハンブルグ1000で1000グレード初の決勝進出、6月ノッティンガム250でツアー初優勝で16位でツアーを締めました。
 2006年はキャリアで最も多くツアー優勝した年隣、6月ノッティンガム250で連覇、ガスタッド250、リヨン250と3つのタイトルを獲得しましたが昨年より順位を下げ18位になりました。
 
 2007年はTOP10をブレイクスルーしました。タイトルはムンバイ250の1つでしたが、これまで最高はGS・Uの4回戦(2005、2006)までだったGSのGS・Aで4回戦、GS・WでSFに進出したり、ツアー最終戦のパリ1000でSF進出したことでランキングを8位とし始めてのツアーファイナルに参戦しました。デビューからTOP10の選手には勝てませんでしたが、2007年は4人のTOP10選手に勝利できたことがランキングをあげた要因です。
 2008年22歳の頃はタイトルを獲得できず、22回の敗戦のうち16回(72.7%)がTOP30以下の選手となり下位相手に敗戦が続く年となったことでランキングは25位となりました。

 
 幼少の頃からテニスコーチの父と母の英才教育を受け、9歳からフランス全土に名前が知り渡り、将来の王者と期待された小さなモーツァルトと呼ばれたフランス人選手の今後の活躍に期待しています。天才と呼ばれたリシャールはランキングを落としたり、活動停止や怪我をしても努力を続けカムバックしてくれる選手です。ベテランとなりましたが、今後も世界の人々を魅了する魔法のようなバックハンドの一振りで相手を沈めるテニスを見れることを楽しみにしています。

記録
✴︎15.9歳 2002年モンテカルロ1000でツアーデビュー(1990年以降年少記録)
✴︎ツアー勝利数500に到達した最初のフランス人選手
 

 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。

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PS.シングルハンドのバックハンドに挑戦した時期と理由伺ってみたいです。



〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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