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【攻撃は最大の防御】剛と柔を兼ね備えた攻撃的な試合展開が魅力!?ジャック・ソックのヒストリー#52
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は「大国出身じゃないと、世界で活躍しにくいでしょー?日本からじゃ厳しいよー!」という仮説に対して、「大国はどうやって世界で活躍する選手を育てているの?」という疑問を検証します。「ジェイ・シズール」や「ショータイム」の愛称で呼ばれている、ジャック・ソックが今までの間に、どのように成長をしたのか中心に調べます。(2021.08.31現在、2022.08.25 ランキング・年表等更新)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
ジャック・ソック
攻撃は最大の防御を体現するプレーが特徴。必殺のフォアハンドを打つために、フォアハンド側のコートを開け、逆クロスのフォアハンドでポイントを量産。返球のボール速度が早く、トリッキーなプレイも多い上に、相手の返球の読みも鋭いため、ウィナーを取りずらい選手。カンザスシティの2チーム、チーフズ(NFL)とロイヤルズ(MLB)のファン。
「8歳で兄と共にテニスを開始」
11歳の頃のジャック
1992年9月24日アメリカのネブラスカ州でファイナンシャルアドバイザーの父と母のもと生まれ、8歳の頃、10歳の兄とテニスを開始しました。人生で初めての大会は、10歳の頃で故郷から300km離れたカンザスシティで開催された大会でした。その試合を見たテニスコーチのM.ウルフがジャックと兄の才能を見つけ、自身のテニスアカデミーへ勧誘しました。
その後1年間、毎週末3時間のM.ウルフのレッスンを受けに家とアカデミーを往復し、母と兄の3人でより多くのレッスンを受けるためにカンザスシティへ引っ越し12年間の間M.ウルフの指導を受けました。
アカデミーでテニスを続けながら、現地の公立高校のブルーバレーノース高校へ進学し、高校卒業までの間シングルスの大会結果は80勝0敗を達成しました。
「シニアデビューとジュニアGS・U優勝」
ジュニアGS・Uで優勝
シニアデビューは、16.6歳でフューチャーズデビューし、17.1歳でフューチャーズ優勝をしました。17.11歳でGS・UにWCで出場、その直後のジュニアGS・Uでは優勝をしプロへ転向しました。ジュニア時代の成績は、5大会出場で11勝4敗(勝率75%)でした。
プロになる前は、フューチャーズが基本の戦場でしたが、プロになった2011年はチャレンジャーへ移行して挑戦しました。
2009年8月3月30日にシニアの大会に出場して以来2012年7月30日バンクーバーCまでの間に43大会に出場し全てアメリカ国内の大会でした。北米以外の初めての大会は2012年12月31日ブリスベン250までアメリカ国内をベースとして活動しました。
「TOP100とツアー初優勝」
22.6歳ヒューストン250でツアー初優勝
17.11歳のWCでのGS・U出場から21.10歳までの間に22大会でWCを獲得して活動を続けた結果 2013年20.9歳で初めてTOP100を切り、年鑑ランキングは102位、2014年は21.3歳で年鑑ランキングで42位と躍進しました。
この間に、2013年2月メンフィス500でM.ラオニッチ[14]、2014年7月ニューポート250でJ.イズナー[12]とTOP20の選手に勝利ができるようになり、10月上海1000では錦織[6]に勝ち、初のTOP10への勝利を達成しました。
2015年4月ヒューストンでは、22.6歳でツアー初勝利を果たしトップ選手として活躍していきます。
2019年1月~2020年2月までの間で指の怪我で半年の離脱もあり、11大会で1勝利もできませんでした。コロナによる中断も影響していますが、2018年10月29日23位だったランキングが、2019年11月にはランキング外で0ポイントまで下がりました。2020年2月は767位から再出発し2021年8月には185位まで戻ってきました。
28歳のジャックの逆襲がどこまで伸び続けることができるのか期待しています。これからも、攻撃は最大の防御であることを証明し続けくれるプレーを期待しますが、ベテランの領域になってどんな風にジャックが進化を遂げるのか楽しみにしています。
記録
✴︎2010年ジュニアGS・U優勝
✴︎キャリア最大の逆転は、2017年パリ1000の1回戦でK.エドモンドに3セット目の1-5から逆転して勝利
✴︎キャリア最大の勝利は2017年ツアーファイナルでA.ズベレフ[3]に1度のマッチポイントを凌いで勝利
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。
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PS.ジュニア期の国際大会参加数が少ない理由と、その上でジュニアGS・U
で優勝できた理由を伺いたいです!
〜CC(Change Court)について〜
CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
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