【ロシアの秘密兵器 】失うものは何もない! 大胆で妥協のないプレースタイルで躍進 !?アスラン・カラツェフのヒストリー#82
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は名字の最後に「フ」が入る選手を今までのように、「幼少期〜ジュニア期と22歳程度の年齢までにどのように育ったのかを調べながら、名字から選手それぞれのルーツについて調査し「ヨーロッパの選手が強い理由」を調べていきます。(2021.10.7現在、2022.09.18ランキング・年表等更新)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
アスラン・カラツェフ
アグレッシブで早い展開を好み、フラット系のスピードボールをコースに突くプレーが特徴。フォア、バックどちらでもウィナーを自在に決めることができる選手。愛犬家。
「6歳テニス開始、12歳プロへの道を決意!」
Jr GS・Uで活躍するアスラン
1993年9月4日ロシアのウラジカフスで、元サッカー選手の父と医者の母のもとで生まれました。アスランが3歳の頃に、家族でイスラエルのテルアビブへ移住をしました。4歳でテニス始め、6歳でジャファテニスセンターへ通い練習を開始しました。
ジュニア期はイスラエルで1位になりましたが、12歳の頃イスラエルのテニス連盟の資金不足によりイスラエルでのテニスの道が閉ざされました。
そこで父と2人でロシアのロストフでA.クプリンとI.ポタポフの指導を受けるためにロシアへ移動し、18歳まで両方のコーチの指導を受け成長しました。この頃から、父はサッカーのキャリアを終え息子のテニスのサポートを行います。
ジュニアの国際大会には14歳から18歳まで46大会に出場し76勝48敗退(勝率61%)でJrキャリアハイは47位でした。
「拠点を転々と変更したキャリア初期」
キャリア初期のアスラン
ジュニアと並行し16歳でフューチャーズデビューをしましたが、膝の怪我の影響で18歳から本格的にプロとして始動をしました。18歳からは拠点をモスクワに変更し、D.トゥルスノフ(2012年当時は世界ランキング40位)と練習をし、その後21歳~23歳の頃はドイツのハレ、バルセロナ、現在のミンクスと拠点を変更しながら活動をしています。
多くの拠点変更をしていますが、この間のアスランは22歳で200位を切るのが最高成績でした。キャリア初期のキャリアハイは21.8歳(2015年シーズン)の153位でその後は、24.3歳で747位までランキングを下げました。
アスランと父の大移動
「27歳ロシアの秘密兵器として躍動」
27.6歳ドバイ500でツアー初優勝
25歳からは少しランキングを上げましたが、再び膝の怪我の影響もあり400位台~300位代を行ったり来たりのプロ生活でした。2020年からアスランのランキングは一気に上昇し、1月に293位だったランキングを2020年12月末には112位まで押し上げTOP100目前としました。
2021年はシーズン開幕から飛ばし、初めてTOP100を切ったのは、27.5歳でGSデビュー戦の2021年GS・AでD.シュワルツマン[9]、FA2[19]、G.ディミトロフ[21]を次々破り予選突破からSFまで進出した初の選手となり、1大会で112位から42位までランキングを上げました。
3月ドバイ500では27.6歳でツアー初優勝、4月ベオグラード250ではN.ジョコビッチ[1]に勝利し決勝進出など、上位陣にも打ち勝つことができるレベルに到達し、8月にはキャリアハイ23位を達成しました。
この躍進のきっかけは、現在のミンクスを拠点に変更し、コーチとフィットネストレーナーのチーム編成の成果があります。
2021年9月末までの大会結果
2021年1月ATPカップでロシア代表として選出されたときは皆が驚きました。優勝スピーチではロシアの筆頭D.メドベーデフはスピーチでアスランのことを英語で「secret weapon(秘密兵器)」と呼びました。シニアの活動でもロシア国内では有名でしたが世界的には無名の選手だったアスランの活躍はロシア人のチームからも悲願でした。
その秘密兵器の呼び名に相応しく、アスランのプレーのテーマは「アグレッシブなスタイルでプレーし、ポイントをできるだけ短いラリーで奪取」することです。そのアグレッシブなスタイルで一気にランキングも駆け上がり、半年で112位から23位にランキングを上げ世界TOP選手になりました。
今後も、層の分厚いロシアの秘密兵器としての活躍を楽しみにしています。現在のTOP30に入るロシア人4人のうち3人が年齢の早い段階から活躍をしていますが、アスランのように「遅咲きでも一気にスターダムを駆け抜けることができる」というサクセスストーリーが更に続くことを楽しみにしています。
記録
✴︎2021年GS・AでGSデビュー戦でSFに進出した初めての選手
✴︎2021年GS・Aで予選からGSでQFに到達したのは、2000年GS・WのV.ボルチコフ以来
✴︎2021年GS・Aでランキング114位でGSのSF進出は2001年GS・WのG.イバニセビッチ[125]以来
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
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PS.今まで拠点とした5カ国のテニス文化の違いを伺いたいです!
〜CC(Change Court)について〜
CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
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