【最短記録更新】体格が恵まれなくても、家が破綻しても夢を南米テニス界の希望!?ディエゴ・シュワルツマンのヒストリー#31
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
「ペケ」の愛称で呼ばれている、アルゼンチン人のディエゴ・シュワルツマン選手についてご紹介です。
この記事では、「身長が低いとプロ選手として活躍ができない?」という仮説と疑問に対して、「身長が低くても世界で戦っている選手がいる!?」を皆さんと検証します。
170cmのペケ(アルゼンチン人男性の平均身長は174.46cm)が今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.08.03現在、2022.08.16 ランキング・年表等更新)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
ディエゴ・シュワルツマン
粘り強さと力強さを兼ね備えたグランドストロークが特徴。反対に浅いボールへの繊細な対処は芸術的。現役選手の中で最も身長が低くランキングが高い選手。ボカ・ジュニアースが好き。
「7歳でテニスを始める」
幼少期のペケ
1992年8月16日アルゼンチンのブエノスアイレスで宝石や衣類系の会社を経営するロシアやポーランドにルーツを持つ家系で生まれました。名前の「ディエゴ」の由来は同郷のヒーローであるサッカー選手のディエゴ・マラドーナから名付けられました。
幼少期から今でもファンであるボカ・ジュニアースの試合を見て育ち8歳から10歳までサッカーも経験しましたが、ペケの選んだ競技は7歳から”Club Náutico Hacoaj”で始めたテニスでした。
「10歳家が破綻!13歳医者からプロは無理宣言!」
23.8歳イスタンブール250でツアー初優勝
1990年代後半にアルゼンチンの経済が減速・低迷し、2001年に財政・金融危機に陥った背景から家業も破綻し、ペケは10歳の頃から家系が厳しい中でもテニスを続け成長を続けました。
ペケが11歳の頃2004年のGS・Fの決勝戦はそれぞれ175cmのアルゼンチン人G.ガウディオとG.コリアの2人の対決で、この2人の活躍から身長が高くなくても世界で活躍できると感じました。この決勝戦以降170cm代のGS優勝者は出ていません(最小はS.ワウリンカ183cm)。
13歳の頃、医師から170cm以上伸びることはないと宣告され、ペケはプロになる夢を諦めました。しかしながら、家計が圧迫している中でも両親がペケの夢を諦めさてはいけないとの想いからペケを励まし続け、金銭面で四苦八苦しながらも遠征費の工面や一緒に遠征についていくなどサポートを続けました。その結果、16.5歳でジュニアの国際大会へ出場しました。家の金銭的な背景から南米を中心とした国際大会に参加し、全14回中13回を南米、最後の大会であるGS・Uのみ南米以外の大会で18歳の頃に出場しました。
「16.8歳でシニアデビューと南米での活動」
このペケポーズがたくさん見れることが嬉しい
ジュニアと並行して、16.8歳でフューチャーズへ参加しました。上記のような事情から2009年~2012年までの4年間は、56%(89大会参加で53大会)がアルゼンチンでの参加でした。当時はアルゼンチン国内でフューチャーズの大会が多くされていたことにペケは感謝しています。
2013年2月20.5歳でチリの大会でツアーデビューを飾り、チャレンジャーを主体にツアーやGSの予選、本線に参加しながらヨーロッパと南米を駆けまわり2014年には初めてTOP100を切り61位になりました。
その後も順調にランキングをあげ25歳でTOP30を突き抜け26位、26歳で17位、28歳で9位とTOP10を切りました。2020年はコロナの影響もあり試合数は少ないですが、170cmの身長でGSのSF進出した選手は1981年以来約40年ぶり、1000の大会で決勝進出は1990年以来でした。2020年には、ローマ1000で土のコートで土の帝王R.ナダル[2]やGS・FでD.ティエム[3]に勝利するなど、クレーコートを得意としている上位選手にも勝利することができました。
母国のデフレに飲み込まれ、破綻したシュワルツマン一家、そして医師に身長が伸びないこととプロの夢を諦める選択肢を跳ね除けたペケの活躍に期待しています。ペケの活躍は世界の人々にどんな困難な時期があっても、身長が伸びなくても世界で活躍するプロ選手になれるんだ!という希望になります。身長は最も短いかもしれませんが、今後もながく活躍し身長での最短記録の更新を楽しみにしています。スーパープレイを決めた後の立ち止まって両手をあげるポージングをたくさん見れると嬉しいです。
記録
✴︎最も身長が低い世界ランク8位(1981年ソロモン以来)
✴︎最も身長が低いGS・FのSF進出者(1980年ソロモン以来)
✴︎最も身長が低い1000グレードの決勝進出者(1990年以来)
✴︎最大の勝利は2020年ローマ1000のR.ナダル[2]で過去の対戦成績は0勝9敗(TOP5との成績も0勝22敗だった)
✴︎2020年GS・FでD.ティエム[3]との対戦で5時間8分の試合じかん
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。
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最後に、アルゼンチン人のサッカー選手で170cmに近い選手が多いことにも気がつきました。
PS.
下記情報を直接伺いたいです。
・幼少期のコーチやテニスクラブの情報
・ジュニア時代のアルゼンチン国内での活動
・サッカーよりテニスを選んだ理由
〜CC(Change Court)について〜
CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
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