キム・カーダシアンの「Kimono」がもし押し通されたら…。ある着物愛好家の署名活動
世界トップレベルのフォロワー数を誇り、強固なファンダムを築き上げているインフルエンサー、キム・カーダシアン。セレブリティ一族カーダシアン家の一員であり、世界的ミュージシャン、カニエ・ウェストの妻である彼女は、実業家として数々のビッグビジネスで成功を収めていますが、そのうちの1事業である補正下着ブランドの名称が物議を醸しました。
ブランド名は「Kimono」。"キム"と日本の伝統衣服である"着物"を掛け合わせたこのネーミングは、着物という言葉の意味を捻じ曲げ、また文化の盗用にあたる可能性を指摘され、「#KimOhNo」のハッシュタグで世界規模の反対運動を巻き起こすことに。
そんな中ブランド名変更を求めるキャンペーンを立ち上げたのが、フランスでファッション関連の仕事に従事する福西園さん。こちらの記事では、福西さんとともに署名活動の一部始終を振り返ります。
■「Kimono」で検索して「着物」がヒットしなくなる未来
――福西さんは今フランスにお住まいなんですよね。前々から着物というものにお仕事で関わってきたんでしょうか?
元々パリで東日本大震災をきっかけに着物を着て被災地支援する「パリ小町」というNPOの運営に参加してはいたんですが、仕事としての関わりは最近になってようやく始まりつつあるところです。
これまではファッションや飲食系の事業者を相手にしたコンサルティング会社の経営をやってきました。フランスには2002年にファッションの勉強をするために渡ってきて、それからずっとフランス暮らしです。
――ありがとうございます。早速ですが「Kimono」のお話を伺っていきます。まず、このブランド名が発表されたとき率直にどう思われましたか?
あまりにも迂闊だと思いました。でも、世界有数のソーシャルパワーを持った人なので単なる迂闊じゃ済まない。とんでもないことが起こる危険性を感じて、すぐ何とかしなきゃと思いました。
――知ったその日のうちに署名を始められたんですよね。すごいスピード感でした。
そうですね、私が事態を把握したときにはもう世界中で「#KimOhNo」のハッシュタグがシェアされ始めていたけど、それだけではさほど抑止力はないんじゃないかと思ったんです。なので、まず英語ではじめて、そのあと、Change.orgの運営からの勧めで日本語とフランス語ページも作りました。
署名運動は、たまたま自分が言い出しっぺだったってだけで、例えばもっとSNSのフォロワーが多いかたが先に始めていたら、そのかたに任せていたと思います。
――福西さんが感じた、Kimonoというネーミングによる弊害はどんなものだったんでしょうか。
まずは「着物」という言葉が「下着」の名前になってしまうことの妥当性のなさは大前提です。
そのうえで、もしあのブランド名がまかり通ってしまったら、「Kimono」で検索したときに「着物」が表示されなくなる事態が起こりうる状況だった。それが最大の弊害だと思いました。
どういうことかというと、キム・カーダシアンはInstagramで世界トップクラスのフォロワーを抱える人で、彼女の投稿には少なくとも100百万件の「いいね」がつくんです。その拡散力を使ってあの補正下着を広めていったら、「Kimono」という言葉から着物ではなくあの補正下着を連想する人のほうが多くなってしまいかねない。「Kimono」という言葉でネット検索したときに「着物」よりもあの補正下着が上に来る状況になる可能性が充分にあった。
実際、発表当初は「#KimOhNo」のハッシュタグを使っている人より「Kimono」を発表する投稿への「いいね」の数のほうが多かったんです。
――決して杞憂では済まされなさそうな状況だったと。
ただでさえ着物を取り巻く状況は決して上向いているとは言えません。日本国内の着物小売市場規模は毎年4%ほど減っています(着物市場規模に関する調査 2018年)。でも、そんな状況だからこそ、海外で「Kimono」という言葉の意味が変わってしまったら、致命的な一撃になりかねないと思ったんです。
(写真:カクテルパーティで、下着デザイナー シャンタル・トーマスさんと)
■着物を守る法律がない
――キャンペーンを始めるにあたって、やはりキャンペーンのテーマに関わる諸々のリサーチは重要です。福西さんは調べを進める中でどんなアプローチを考えていきましたか?
まず直面したのは、「商品名に着物という言葉を使ってはいけない」と定める法律がないということ。他国と比べてみると、例えばフランスではその辺の権利がA.O.C.(原産地統制呼称)という制度によって守られているんです。
一番わかりやすい例としてはシャンパン。「シャンパン」はシャンパーニュ地方で作るものだけを指す言葉で、まったく同じ製法だとしても生産地が違えばシャンパンとは呼べないと法律で決まってるんです。
着物にはこういった制度上の防御策がない。海外の友人には「着物って法律で守られてないの?」って驚かれることもありました。
キム・カーダシアンがもしブランド名を撤回せずに押し通したら、法律を根拠にNOを突きつけることができなかったわけです。
あとはもう、着物をユネスコの無形文化遺産に登録するくらいしか制度による防御策がなかったんですが、それも難しくて。無形文化遺産は日本は2年に1度だけしか候補を挙げられないし、そもそも日本では文化財保護法に基づくものをエントリーし、登録されてきた経過があり、文化財保護法との関連が薄い「着物」は現時点でかなり登録から遠いそうなんです。
――それが事実なら、あまりにも時間がかかりますね。
署名のキャンペーンページにも「もしキム・カーダシアンがあの名称を押し通そうとしてきたら、無形文化遺産への登録しか対策がなくなる可能性があります。そうなったときにはまたご協力をお願いするかもしれません」という旨のことは書いていたんですが、それが誤解を生んでしまって。
――誤解というのは?
私がChange.orgで集めた署名を、着物の文化遺産登録への署名に流用しようとしているという誤解です。もちろんそんな意図はなかったんですが、そう信じる人からのバッシングが起こって、さらにその誤解が事実として報道されて、それがYahoo!ニュースに載ったことでさらにエスカレートしました。
パリ小町にも飛び火して批難が寄せられるようになったので、パリ小町はこの署名に一切関与していないと声明を出したりと対応に追われました。
――大変でしたね。
3日ぐらいは本当に凹んでました。
ただ、一番大事なことは、着物という言葉を守ることだと再発見して。それからはもう、この件に関してはInstagramもTwitterも見ないことに決めましたね。
――今後署名活動を始める人は、そういったバッシングのきっかけを念入りに排しておいてほしいですね。
そうですね。実際、最初のキャンペーンページの記述は確かに誤解を招く余地があるものではあったと思います。メッセージはとてもシンプルで、写真もなく、荒削りでした。
あと、キャンペーンを立ち上げる人に対するバイアスの問題もあると思います。おそらく誹謗中傷を送りつけてくるような人たちが思い描いていたキャンペーンの発起人像は、いわゆる大和撫子的なナイーブで純朴な女性のイメージだったんじゃないかと思います。それが遅ればせながら公開された発起人の写真を見たら、なんか思ってたのと違うぞと。金髪だし(笑) 。 金髪にしたのも、この髪色で着物を着ていると、単にクラシックな装いが好きってことじゃないんだろうなという印象になる。生きた文化として着物を普及させたいという気持ちが強いので、ある種戦略としてこの髪色にしているところがあるんですけど、バッシングしてきた人たちが思い描く理想の姿ではなかったかもしれません。
――理想の被害者像を求めるようなバイアスは、署名に限らずさまざまなアクティビストに向けられますね。
本当に個人的な感情をぶつけてくる人が多かったですね。「なんであなたが日本の代表みたいな顔してんの?」とか、「昔から着物に携わってきたわけじゃないのに何様」とか。
――当事者性を重視しすぎるというか、アクションを起こした本人がどれだけ深くテーマと結びついているかに説得力が集約されてしまう。
世間の人が求める理想に沿った聖人のように署名活動を続けなければいけないのか、という苦悩はずっとありました。
■民意を可視化する力
――先ほど伺ったのとは逆に、励みになったり元気が出たりしたリアクションはありましたか?
先ほど言った、Yahoo!ニュースに好ましくない形で載ってしまったときに、私の意図をくんだ上で「こうしたらどう?」と助言をくれる方が何人かいました。
例えばTwitterで今こんなふうに言われているからこういうふうに反論するといいんじゃないかとか、キャンペーンページの文章が日本語も英語も拙いのでブラッシュアップに協力すると言ってくださったかたもいました。
Change.orgのスタッフのかたがたも早い段階でサポートに入ってくださって、キャンペーンページの書きかたを1から教えてくださいました。署名を促すプラカードなんかの小道具も作ってくださったりして。
突発的に始めた署名だったので本当に助かりました。
――あとは、先ほどおっしゃっていた法的な部分をサポートしてくださったかたですね。
アーロン・モリン氏は日本在住のカナダ人弁護士で、着物をリサイクルした小物のブランドの運営もしている人なんです。
――すごい、今回の件にうってつけの人材すぎますね。
そうなんです。彼の助力のおかげで、集まった署名をまとめ、抗議文を添えて提出する最終工程が無事完遂できました。
――結果的にキム・カーダシアンは「慎重に考えた結果、下着ブランドは新しい名前で立ちあげます」というコメントを発表し、「Kimono」というブランド名を取り下げました。
本当にホッとしました。「やったー!」というような感じではなかったです。
ゼロがプラスになったわけではなくて、マイナスがゼロになっただけというか、やっと元に戻ったというか。これでやっと自分が関わる着物関係のプロジェクトに集中できるという感じでした。
提出した署名に対するリアクションはゼロでしたし、署名を受けての決定かどうかはわからないです。
ただ、最終的に集まった署名の数は13万8,253筆に上りました。商売をしている人間ならぜったいに無視できない数字で、これだけの人がNOを提示しているという事実が最終意思決定に何の影響もなかったということはないはずです。こういうふうに、署名が持つ「民意を可視化する力」は、さまざまな”起こってはならないこと”に対する抑止力として活かしていけると思います。
(インタビュー:ヒラギノ游ゴ 画像提供:福西 園)