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日中合作映画「安魂」に感動しました

不寛容な今の時代に必要な映画

2022年1月15日、岩波ホールにて映画「安魂」を観た。中国の開封という美しい街を舞台にした、ある家族の物語で、とても深くて優しく、静かな余韻に浸る作品だった。すばらしい映画との出会いは人生の財産だと改めて気づかされた。

主人公は唐大道という大作家の父。彼は一家の大黒柱であり、有名作家として周囲から慕われる存在だ。そんな偉大な父に憧れる息子、英健は父のように立派になろうと仕事で頑張るが、長年の無理がたたって病に倒れてしまう。英健には心に決めた婚約者、張爽がいて、父に紹介するものの、彼女が貧しい農村出身であることを理由に結婚に強く反対されてしまう。英健は、父を慕うものの、つねに自分の意志を押し殺して父には逆らえないという窮屈な環境のなかで育ってきたのだった。

脳腫瘍で急逝した英健を看取ったあとの両親の姿は、観ていてとても心苦しかった。挫折もなく成功してきた唐大道の人生が崩れていく様は、悲しくもドラマティックだった。しかしこの映画はここからが、面白い展開になっていく。息子の死後、唐大道は街でばったり、息子にそっくりの青年と出会うのだ。その青年は霊媒師をする詐欺師であり、弱った人につけ入っては「あの世と交信できる」と言って人を騙す詐欺の一家だったのだ。唐大道は亡き息子を愛おしむあまり、劉力宏と名乗るその霊媒師と親交を深めるようになってしまう。

時を同じくして、亡くなった英健の婚約者、張爽も街でばったり劉力宏と出会い、彼の霊媒師的な話術に混乱させられるようになるのだった。劉力宏張爽から亡き英健の情報を巧みに聞き出し、その情報でもって「天国の息子さんと話した」と言って唐大道を何度も騙す。張爽も愛した人に先立たれた悲しみからなんとか立ち直り、人生を歩み出そうとしている矢先に、劉力宏英健のことを語るせいで、さらに心の傷を深めることになるのだった。

文化の違いよりも、人としての共通点に心を動かされる作品

映画「安魂」はストーリー展開が早く、台詞のテンポも良く、すいすい引き込まれる作品だった。人間の脆さ、危うさ、醜さ、そして優しさと、人間が持つほとんどすべての要素が、余すところなく描かれていたと言っても過言ではない。厳しかった父親が愛する息子を失って初めて、ほんとうの意味で息子と向き合う努力を始める姿は、なんとも切なくて、それでいて深い説得力があった。人間というのは、大きな大切なものを失って初めて、ほんとうの人生が動き出すものなのかもしれない。

映画「安魂」のタイトルは、観る人に解釈がゆだねられていると思った。安魂を「鎮魂」と捉えて、父から亡き息子への懺悔の物語と解釈するべきなのか? それとも「安らかなる魂」と捉えて、残された家族が穏やかな心を取り戻すまでの物語と解釈するべきなのか? タイトルの解釈を巡って、映画の鑑賞後に友人と語りあうのも楽しかった。

作中で、唐大道「イスラム教では、亡くなった人の魂は7日間、家族の周りを漂うんだ。仏教でもそうだ。僕の故郷の村の言い伝えでも、同じだ」という台詞があるのだが、息子の魂がこの世に留まってほしいと願うあまり、後になって霊媒師に簡単に騙されてしまう展開へと繋がっていく。伏線の張り方が憎いくらい上手だが、物語のうまさはともかく、人間というものは目に見えている現実だけでは生きられないのだと思う。圧倒的な悲しみに直面した時、人には何か宗教的なものや、スピリチュアル的なものが救いとして必要なのだ。この映画はそれを教えてくれた。

2020年から始まったコロナ禍で、世界中で多くの人が亡くなった。亡くなった人の数だけ遺族の数がある。(私の知人も昨年、夏の最も暑い日に、コロナで他界してしまった)だから「安魂」で描かれている家族の突然の死というのは、今の時代は誰にとっても身近な物語だ。コロナ禍でワクチンや特効薬の開発など医療が進歩した一方で、「コロナは世界政府による人口削減計画だといった陰謀論」や、「アマビエ信仰」など、とても科学的とも論理的とも思えない言説があふれた理由も、おそらくは「安魂」が提示するテーマに通じている。現実だけを見て生きろというのは、酷なことなのだろう。ましてや恐怖や悲しみに捕らわれた人にとっては、現実は救いにならないのだ。唐大道が、劉力宏が詐欺師だと、途中で薄々気づきながらも、彼との交流をやめられなかった理由も、そこにある。唐大道は癒される道を劉力宏のなかに見出したのだ。そして劉力宏もまた、初めて人間というものを信じ、犯罪から足を洗って更生するという道を唐大道によって見出したのだ。 

「安魂」のもう一つのテーマ

この映画では息子の死という個人的なテーマとはまた別に、並行して大きな社会的テーマも描かれていた。それは中国の経済格差問題だ。もちろんこれは今に始まったものではないし、中国では貧しい農村と都市部の人の教育格差や経済格差は昔から続いていることだ。「安魂」ではこの格差に、不思議な緩衝材として、日本人留学生が登場している。元AKB48の北原里英さん演じる星崎は、河南大学で中国語を学び、お母さんにしょっちゅう国際電話をかけていて、そして開封にいてもスマホの国際通話で友人に「また渋谷で買い物しているの?」とお喋りするような、いわゆるお嬢様である。そんなお金の苦労を知らない星崎が、貧しい農村出身ゆえに結婚に反対された張爽と、いとも簡単に友人になってしまうのだ。彼女はニッポンの女の子の部屋を再現したような、ぬいぐるみいっぱいのアパートの部屋に、張爽を招いたりしている。英健の死後、張爽が「私、田舎に帰って働くわ。懸命に働いていた方が、彼のことを考えなくてすむし」と打ち明けると、星崎は「大変なことがあったんだから、そんなにすぐに働かなくても、しばらくゆっくり休んだら?」と慰める場面があるのだが、私にはそのシーンは衝撃だった。二人には本来、大きな経済格差や育った環境の違い、文化や言葉の大きな違いがあるはずなのに、まるで何もないかのように、さらりとその台詞のやり取りが行われるのだ。言った方も、言われた方も、「そうだな」と頷くような自然さで会話が進み、友情が続いていく。それはなぜか?

それは二人が若い女の子同士であり、互いに好きな人のことで悩んだり、将来について悩んだり、多くの共通点があるからだ。二人は容姿も性格も似ている。

唐大道は生前の息子と分かり合えなかった。英健は父に逆らえない人生を歩んでいた。劉力宏は人を信じられず、金持ちを憎んでいた。心に「壁」を持っていた三人だが、張爽星崎は文化の違いも、経済格差も言葉の壁も、簡単に乗り越えてしまった。

これは女だからゆえになしうる柔軟さ、自由さなのだろう。(ここでは割愛するが、唐大道の妻は、息子の結婚に反対してはおらず、張爽に対しても内心は好意的だったが夫の手前、控えているようなところがあった)

安魂」は表向きは、最愛の息子を亡くした悲しみや、人の弱さ、強さ、優しさを描きながら、裏では、頑なな心になりがちな男と、自由な心の女というジェンダー格差を描いている。このように登場人物をジェンダーの観点から見ると、とても対照的で面白い。この映画が2倍楽しめること間違いなしだ。

来月から、東京だけでなく全国の都市で公開される。多くの人に観てほしい。ぜったいおススメの映画である。 

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