側弯症の手術してみた~プロフィール編2
こんにちわ!
側弯の人チャンドラです。
自分で側弯の人って名乗るのもどうかと思いますが、前回のプロフィール編1にて書かせて頂いた通り
チャンドラは10歳から側弯症なので、もうパーソナリティが側弯症と共にある状態。
日本人が自分を日本人だと思って育つように、チャンドラは自分を側弯症の人だと思って育ってるからアイデンティティも自然と側弯の人って感じなのです。
さてさて続きです。
母と共に近所の整形外科へ足を運び、学校からの紙を医師に見せた所、すぐさま胸部のレントゲンを撮られ、
その後それをみた医師はすぐに『紹介状を書きます』とおっしゃった記憶があります。
チャンドラも幼いながらレントゲンを見て、大衝撃を受けました。
昨日までなんともなかったはずの背中。
だけど、今日は曲がってる。
元気に生きてきたのに、今日から病気。
頭がこんがらがって
なんで私だけ?って悲しくて
だけど親の前で泣く事だけはしなかった。
泣きたかった。けど、泣けなかった。
が、正しいな。
ここで泣いたら親が悲しむ、ここで泣いたら全てが大事(おおごと)になりそうな気がするという感じ。
それから暫くして、母は私を大学病院へと連れて行きました。
最近の大学病院は改装されていたりすごい綺麗でそこまで悪い印象もないけど、チャンドラの行った大学病院は当時とても古かったし冷たい印象。
ただでさえ病気で悲しいのに病院という怖い場所がより怖く感じる冷たさ。
病院に幽霊が出るとか昔よく聞きましたが、あの雰囲気なら夜中に出ても違和感ない(汗)
癒し、なんて全く感じない無機質さに加え、チャンドラは整形外科の待合で初めてコルセットをつけている女の子を発見。
それはまるでむち打ちの人が着けるような首まである長いもので洋服から随分はみ出している感じ。
それを見たチャンドラは
『これを着ける事になったら確実に学校でいじめられる』と恐怖で逃げ出したくなった(泣)
その後、何度も経過観察に行く事になる度に待合で同じコルセットをつけている少女達に出会いました。
おそらく皆、側弯症の治療やったんやと思う。
大学病院では
初回から経過観察まで毎回、レントゲン室(遠い!)まで行き、それから戻って診察、側弯体操のリハビリ指導といった流れでした。
予約していても待ち時間もかなりのもの。
一日仕事だったので、通院時は学校は休んでいました。
そして当時、その大学病院では診察は個室では無く、カーテンの仕切りだった為、チャンドラはお隣さんの診察やレントゲンが見えるし、
お隣さんもチャンドラの診察が見えてたはず。
その時にチャンドラはチラリとお隣が目に入ったのですが、
目に飛び込んできたお隣の女の子の患者さんのレントゲンは、自分のレントゲンの100倍ぐらいの衝撃。
コルセットの女の子と出会った時の1000倍の衝撃はありました…。
オーバーな表現をすると、
背骨の【上から下までねじだらけ】
という感じ。
しかも車椅子に座っていたので、術後だったのかな?その子が私服を着ていたのは覚えています。
そんな衝撃を受けているチャンドラを後目に診察は進みます。
前屈してリブハンプ測定。
レントゲンを長ーい物差しで線を引いたり図ったりしての度数確認。
チャンドラは初診の際には経過観察と言われていましたが、経過観察で数ヶ月毎に通院する度に悪化していく湾曲。
毎日側弯体操をしたり姿勢に気を付けているのに!と心の中では叫びだしたい恐怖でいっぱい。
そしていつも言われる事になる『手術を視野に・・・』との医師からの言葉。
傍から見ていても悩んでいる様子の母。
チャンドラはそんな時には空元気で明るく振る舞うようになりました。
本当に辛い事って誰にも言えなくない?
喉のところで気持ちが固まって言葉が出ない。
でも
当時のチャンドラは病気を感じさせない明るい子やったと思います。
つづく・・・
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