あなたが私じゃないように、私もあなたじゃないのよ
過干渉だな、と思う。
誰もあなたに値踏みされたくて人生を送っていないし、
別にあなたにあれこれ注意されたくて何かしてるわけではないな、と思う。
SNSというアカウントさえ相手が持っていれば、繋がった気になれるサービスが普及して、
世の中みんな家族?みたいに思い込んでる人、増えた気がする。
連絡先を交換しなくても送れるメッセージは、相手のテリトリーに土足で踏み込むことと同じだと思った方がいい。
何か呟けば、何か投稿すれば、
評論家気取りと、同情したがりな誰かと、とにかく否定したい人が現れて、ずかずか家の中に入ってくる。あれこれ散らかし放題して気が済むと、満足げに出ていく。
散らかされた方はたまったもんじゃないし、片付けもしないといけないし、奪われた時間は取り戻せない。
応援したり励ましてくれる人ほど、ドアの前で立ち止まって、気持ちだけ置いていってくれる。
あなたが私のことを分かっていないように、私はあなたのことを知らない。
SNSで繋がっていることは、なんでも言っていい権利を得たと言うことではない、と思う。
知らないからこそ、丁寧に接したい。
こんなこと、言わないと分からない世の中になっちゃったのかな。
自分が言われて嫌なことは相手にもしない。
「別に私はこれくらい言われても平気だもん」
想像力、働かせてみませんか。
「良かれと思って言ってあげたのに!!!」
これ、もうやめたい。あなたの良かれが、必ずしも相手にとって良いわけではない。
理解してくれている家族や親友から言われるなら分かるけど、他人から押し付けるのはちょっと違うときもあるんじゃないかな。
「アンチじゃないのにダメなの?」
悪口を言うだけが"アンチ"なのかな。
「本当はこんな気持ちなんだよね…可哀想」
勝手に憶測で思い込むのは、もっとやめたい。
画面越しでしか知らないあなたに分かってもらうほど、人の人生はそう簡単ではないはずだ。
相手に想いを馳せるのは悪いことじゃないけど、想いを馳せた挙句勝手に結論づけて思い込むのは、違うかなと思ってしまう。
マウントを取るために、不幸せな誰かより幸せな自分でいたいために、見下されることになるのは誰だって嫌だ。
フォロワーって友達じゃないし、家族じゃないし、
冷たい言い方をすれば、たった、フォローボタンひとつを押したか押してないかの違いでしかない。
でもなんか時に特別なつながりを感じて、助けられたり励まされたり、仲間みたいな、なんとも不思議な関係性だと思う。
だからあくまで、「適度な距離を持って」接することが必要な、とてもデリケートな間柄だと思う。
別にSNSを窮屈にしたいわけじゃなくて、
楽しいも嬉しいも悲しいもむかつくも、自由に表現していいと思う。むしろそのための場所だし。
自由を履き違えないでさえいれば、個性が見えて面白い場所だと思うんだ。
でもそのボーダーのルールがないから、めちゃくちゃ難しい。
超偉そうに語ったけど、私も間違ってるかもしれない。現に衝動的に愚痴を書いちゃう時だってたまにある。受け取り手には悪口に見えてるかもしれないし、自分だけの世界では分からないことも多い。
だから、言われたらその時に間違いを認められる自分でいたい。できれば言われる前に気付ける自分でいたいけど。
なんだか支離滅裂、でも思ったこと。
当たり前のようにSNSがあって、間違った使い方をする大人がいて、そんな環境に幼い頃からいたら、嫌な連鎖が起こるな、と思って。
衝動的に書いてみた。
いま、全然誹謗中傷に悩んでるとか、実は心が病んでるとか、そんなことは一切ないです。
私の周りにはありがたいことに、丁寧に接してくれる人が多い。本当にありがたいことに。
ただ、ここ最近の違和感について書きたくなって。
私もSNSは勉強中で、一緒に正しい使い方、探していきたいなあ、みんなも色々教えてほしい。
寝れない時ほど語っちゃうね、さあさあ今日もおやすみ。
音楽活動の足しになります、執筆活動の気合いになります、よかったら…!