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エッセイ #16| 横向きに生えた親知らずを抜いた話②

 僕の親知らず奮闘記。大学生の頃にこの戦いが始まり、そこから8年の模様を#15にまとめた。

 今回は、下の歯の抜歯編である。

 横向きに生えた下の歯の親知らず。かかりつけの歯医者に紹介状を書いてもらい、大学病院に行くも、抜歯できるのは数ヶ月先とのこと。その間、親知らずが急激に痛くなってしまい、すがる思いで近所の歯医者に駆け込んだ。

「うちでも30分くらいあれば抜けますよ。」


「へっ?」


「なんなら今日この後、抜けますよ。」


「今日?!」


 大学病院は2ヶ月先なのに、ここは今日!?

 中学生の頃、初めてはなまるうどんに行った時のことを思い出す。それはもうスピーディで、とにかくすぐ食べられるのだ!

 うどんにしても歯医者にしても、何にしても早いのは嬉しい。いやでも、待てよ。少し冷静になれ。


 本当に、ここで抜いてもいいのだろうか?


 ここの歯医者は1年前に出来たばかり。先生は見たところ30代とお若い。僕の親知らずは横向きに生えていて、根本が血管や神経に近いため、抜歯がうまくいかないと顎に麻痺が残ることもあると聞いた。この若造にそんな大役が務まるのだろうか?

 年上の先生に生意気な口を聞くわけにはいかないため、これまでの経緯を説明し、信頼に足る先生なのかどうか判断しようと思った。すると浮き彫りになったのは下記の情報。

 "口腔外科の認定医"

 "ctを取って立体的に歯の状態を見るので問題ない"

 "これまで10年くらい、数多もの親知らずを抜いており、横向きに生えた親知らずにも知見がある"


 えっと、採用です。

 なんだかすごそうです、あなた。

 実力があるから若くして開業医になられておられるんですね。

 「すみません、お願いしてもいいですか。」

 抜歯後にうまく喋れなくなることを想定して仕事の調整をしなければならなかったため、流石にその日には抜けず、予定を調整して1週間後にまずは1本抜くことになった。

 そして抜歯当日。

 これが今から10日ほど前の出来事。
 平日、木曜の昼。先生と1週間ぶりの対面だ。

 「〇〇さん、体調は大丈夫ですか?」

 「あっ、はい、全然大丈夫ですっ!」

 「今日は、まず表面に麻酔をして、その後、歯の奥深くに麻酔を打ち込みます。麻酔は2回ですね。」

 「なるほどー!」

 「この麻酔が今日一番痛い瞬間なので、そこを乗り越えればあとは大丈夫です。頑張りましょうね。」

 「はーい!」

 「麻酔が効くのに時間がかかるので、麻酔をしてから改めて今日の説明をしますね。」

 「はい、わっかりましたぁ!」

 なぜだろう。

 採血をするとき、予防接種やワクチンを打つとき、ほくろ除去で麻酔をする時、そして今、歯医者。何か痛いものを喰らうとき、なぜか僕は、

 "全然平気でーす、やっちゃってくださーい"

 といった具合で、平常心を保っているフリをしてしまう。本当は、"いやだよおおおおっ"と言いたい。ただ、大人にもなると、そうはいかないのである。
 ※麻酔が超絶痛かったほくろ除去のnoteはこちら。

 手術台に横になり、口を大きく開ける。まずは表面の麻酔。思わず手をぎゅうっと握りしめる。

 「次、歯茎の奥の方に麻酔していきますね。」

 「あぇい。」

 余裕で〜す、という演出をしないといけないので、しっかりと返事をする。

 「いきますよ。すみませんね、痛いですよっ。頑張ってください。」

 「ッッッッ!!!」

 これがめちゃくちゃ痛い、痛すぎるのだ!体感でも分かる、めちゃくちゃ奥深くまで麻酔針が入ってゆくことが!ほくろ除去の時もそうだったが、目を閉じながらも反射的にツーっと涙が頬をつたう。

 ぐうううううっと耐えるあまり思わず口が震える。いや、これは口が震えてるのだろうか?なんだ?震えているのは口ではない気がした。閉じていた瞼をうっすら開けてみる。

 すると驚愕、震えていたのは麻酔を打ち込む先生の手だった。


 いや、大丈夫かいあんた。

 おてて、震えてんぜ?

 サバンナでライオンに睨まれたトムソンガゼルくらい、震えている。


 "…おいおい、手、震えてるやんけ!"

 と思い、再びそっと目を閉じた。

 何かを察したのか、トムソンガゼルがこう言う。

 「手が震えるくらい奥の方までね、針を刺してますからねーっ。これでしっかり麻酔が効きますからねーっ。」

 "…どんだけ奥まで針刺してんだよ!こえーなぁ!"

 無論、ここまでくると余裕ぶって返事をすることなど出来る訳がなく、そこからは思いっきり無視をした。


 麻酔が終わって手術台が起こされた。軽く口をゆすぎ、目の前のモニターに映ったct(口の中の立体データ)を見る。麻酔が聞くまでの間に、トムソンガゼルが改めて抜歯のプロセスを説明してくれるようだ。

 「このように横向きに生えている場合は、一度歯茎を切る必要があります。歯茎を切った後に歯を分割して取り除き、その後根本を取ります。そして最後に、切った歯茎を糸で縫って終わりです。15分くらいで終わりますからね。」

 「あぇい。」

 歯を割るってすごい。ロロノア・ゾロ(上の親知らず)を抜いた時はスポッと抜いた気がするが、やはり下の歯は難しいらしい。

 麻酔が効いてきた頃合いで再び手術台が倒されて横になる。さぁ、ここからが本番だ…。

 まずは口の中をツンツンされた。

 「これ痛みありますか?」

 ブンブンッ(首を横に振る)

 「大丈夫そうですね。じゃあ始めますね。」

 そこから全く何をされているか分からなかったのだが、メスを当てられているのでどうやら歯茎を切り裂いているらしい。歯茎が切り裂かれているのに気づかない自分を考えると気持ち悪くなった。トムソンガゼルはテキパキと作業を進める。そこに一才の震えは無い。優秀な先生だ。

 ウィーーーーンっという甲高い音が聞こえた。

 "うわぁ嫌な音…"

 どんな器具で割っているのか分からなかったのだが、丸太を切るような音だったため、頭の中に浮かび上がったのはチェンソーだった。

 口の中にミニチェンソーが入っていると思うと、誤ってチェンソーに舌が触れてしまったらどうしようと不安になる。滝のような汗が手ににじむ。こんなところで舌切り雀にはなりたくない。

 先生は慣れた手つきで器具を動かしていく。

 すると、

 ガリガリッという音がした。

 ほんとにガリガリッという音だった。

 例えるならば、飴玉が砕けるような音である。まるで、口の中で転がして小さくなった飴を最後に噛み砕くように、口の中で歯が砕ける音が鼓膜に焼き付いた。後から先生に聞くと、親知らずの中が少し虫歯になっており、割る過程で粉々になったらしい。どんどん親知らずが解体されてゆく。

 「いやぁな感じですよねぇ…。ごめんなさいね…。」

 先生は口調が優しい。そしてやけに謝る。

 この後もガリガリ、ゴリゴリ、口の中で音がした。何度か器具をこねくり回した後に、スーッと口から器具が抜けた。

 「これでもう抜けましたからね。」

 勝訴。

 そっと瞼を開けた。

 長い長いトンネルを抜けて、ようやく光が見えた。若造だの、トムソンガゼルだの言ってしまい申し訳ない。あなたは名医です。ブラックジャックです。Dr.コトーです。

 「あと2分くらいで終わります。」

 そこからはもう神業であった。ONE PIECEをご存知の方は、ドンキホーテ・ドフラミンゴを想像して欲しい。糸が見えたかと思うと、目にも止まらぬ早さで切った歯茎を縫っていく。一瞬で縫い付け作業が終わった。

 「終わりましたよ。お疲れ様でした。」

 親知らずに出会ってから、8年。ついにその3/4までを抜き終えた。よく頑張った、自分。

 起き上がり、軽くうがいをした後に、抜いた歯を先生に見せてもらった。テレビでよく見る異形の大根のように、歯の根本は二股に分かれていて、先っぽは少し曲がっていた。まるで生き物のようだ。

 「〇〇さん、歯、おっきいですね。虫歯だったので歯の上の方は細かく割れちゃいました。」

 解説が終わるとともに歯をさげようとしたので、咄嗟に、

 「あの!」

 と声が出た。

 「はい?」

 先生も、歯科衛生士さんも素早くこっちを見る。

 「ほの歯、どうふるんえすか?(その歯、どうするんですか?)」

 「処分しますけど…。お渡ししましょうか?」

 「あ、あいがほうごらいます。ほひいえす。くらはい。(ありがとうございます。欲しいです。ください)」

 僕は親知らずを手に入れた。

 歯の形をしたかわいらしい小さいケースにいれて親知らずを贈呈してくれた。なんだか欲しくなったのだ。

 抜歯を終えた先生は、次の患者さんの診察に向かうべく、部屋を後にした。隣についてくれていた歯科衛生士さんが、術後の注意事項を説明してくれる。僕と同い年くらいだろうか。20代の女性で非常に落ち着いた方である。

 「強いうがいはだめです。しばらくは安静にして、処方された抗生物質をちゃんと飲み切ってください。痛い時は痛み止めを飲んで、食事は反対側の歯で柔らかいものにしてください。それと…」

 色々と説明してくれた。親知らずは術後の過ごし方が肝なのだ。安静にしていないと回復が遅くなってしまう。

 「歯磨きはどうしたらいいですか?」

 と聞くと、

 「今日明日は、歯磨き粉を使わないで、磨く時も反対の歯だけにしてください。抜いた付近を磨いちゃうと、口の中が血の海に染まってしまうので。」

 "血の海に染まってしまうので"

 冷静な感じでそんなこと言うんだ。血の海に染まるって歯医者で聞いたの初めてだよ。

 8,000円ほどのお会計を済ませ、歯医者から出た(親知らずを抜く時は、これくらいかかるのだ)。


 かくして、僕は無事に親知らずを抜くことが出来た。患部はと言うと、ぽっかりと穴が空いている。歯茎が少し膿んでいるらしく、そこに触れると痛いのでまだこちらの歯では噛めない。膿みによる痛みは1か月もあればなくなるらしく、穴が塞がるのは半年〜1年はかかるらしい。

 数ヶ月して落ち着いついてきたら、残りの1本を葬るつもりだ。

 もし、抜く必要のある親知らずを抜かずに放置している人がいるならば、早く歯医者に行くことをおすすめする。なんだか大人になった気がするし、"早く抜かなきゃ"という雑念がなくなり、清々しいお口ライフが始まる。

 あなたも、飴玉のように崩れていく歯の、目撃者になるのだ。

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