誰かになろうとするのは辛いという話
ヒガてつです。
最近、この部屋から東京タワーは永遠に見えないを読みました。面白くて思わず一気読み。
そして読み終わった後こんな風に思いました。
「アザケイさんみたいな文章を書けるようになりたい」と。
憧れのあの人には一生なれない
でも、誰かになろうとする事は辛いことです。なぜなら、憧れのあの人には一生なれないから。
わたしの学生時代
わたしの学生時代を振り返ると、憧れの誰かになろうと必死な人生でした。
わたしは、学生時代はずっとサッカーをしていたのですが、いわゆる万年ベンチ。誇れる実績は何もありません。
ベンチにも入れないことも往々にしてありました。
今はこんな風に書いていますが、当時は相当つらかった。
そして大金を払ってもらっている両親にものすごく申し訳なかったです。
ほんとダメだめだったので、やっぱりチームのエースストライカーにはものすごく憧れるわけですよ。
「自分もあの人のようになりたい」と。
憧れのあの人になるために、その人のスパイク(サッカーシューズ)や着ている服を真似してみたりしました。
でも憧れのあの人に一生なれなくて、万年ベンチの自分のままでした。
今思うこと
振り返ってみると、当たり前のことです。
スパイクや着ている服などの上っ面だけを真似しても、自分は自分のままに決まっています。
あの時すべき事は、「あの人にはできないけど自分にしかできない事を探す事」でした。
自分はどんな文章が書ける?
今回のケースもそうです。
アザケイさんのような文章を書けるようになりたいからといって真似をするのではなく、自分には何ができるかを考える。
例えば、アザケイさんは東京でいろんな人と飲みに行って、そこで見聞きしたことを皮肉めいて書いています。
ここで立ち止まり自分にできる事は何かを考えたとき、例えばわたしは内向的な陰キャですが、そんな陰キャが東京のありとあらゆる人と会ってみて、どのように変わっていくのかという様子をマガジンとして連載してみる、というのは陽キャである(であろう)アザケイさんにはできなくて自分にできることだと思います。
こうやって自分にしかできない事を考えていく事が、自分らしく生きていく方法だと思います。以上。