自分の気持ちを押し殺すと病むらしい。体が未知の領域に達した話。

もともと野心やコンプレックスを原動力にできないことが原因なのか、しばしば立ち止まってしまうことがある。わたしは心が強くないし、何かを変えてやろうとかあの人を超えてやろうとか、昔からそういう気持ちがほとんどない。いつでもゆるゆると前に進み、その中でもやるべき事をきちんとこなすタイプだ。これは(自分で言うから引かないでほしいのだけど)すごく良いことでもあるし、同時にわたしの一番の弱さでもある、とわたしはいつも思っている。


心が元気な時は、そんな自分を誇りに思うことができる。ゆるゆるとした気持ちでも「わたしのちいさな幸せを誰かに届けたいな」というわたしの勝手な欲求で、しっかり前に進めている自分を褒めてあげたいし、前に進んでいるのに、好きなことをするのに、「覚悟」や「野心」なんてさほど必要ではないと言えることで、どこかの誰かを勇気づけらているのではないか、と思う日もある。強い人しか夢を叶えられないなんてことがあるわけじゃないから。

でも、心に元気がなくなったときは、途端にわからなくなる。立ち止まって周りを見渡してみると、わたしの進む方向を示してくれるものが何一つないことに気づくのだ。


最近の毎日はこれまでにないくらいすごく好きだし、「幸せだなぁ」という気持ちでいっぱいなのだけれど、それでも心のどこかで「明日終わるのかな」「明日じゃないとしても終わるんだよな」と急に不安に襲われる。人間関係にしてもそんなことを思う。何かを始めるにしてもいつか終わるのなら、次のことを考えていなければいけない気がするし、少なくとも自分の中での目標が多少なりともなければいけない、と半ば強迫観念のようなものが襲ってくるのだと思う。現状維持だって難しいはずだ、とか、やり過ごすってことも時には大事、とか、思うくせに一日一日が過ぎていくほど不安になってくる。

「わたしって、本当は何をしたいんだっけ」
「何者かにならなくちゃいけないんじゃない…?」

さらに悪いことに、心が弱ってくると急に周りが気になるようになる。

「あの人は、あんなに頑張っているのにわたしは」
「あの人なら、こんな風に迷わないだろうにわたしは」
「あの人は、あんなことを言ってくるけどわたしは」
「あの人には、わたしより大事に思う人がいるんだな」

言葉にならないくらいの小さな気持ちが日に日に積み重なって、いつの間にか喉元まで迫ってきて。わたしはついに何度目かの病気になった。

自分のキャパは分かっているはずなのに、悲しいことは悲しい、寂しいものは寂しい、辛いことは辛い、そう言わないと病むらしい、そんなことは十分分かっていたはずなのに。まだ大丈夫だ、と言い聞かせていたのだけれど。

文章では自分の気持ちをしっかり見つめて表すことができるのに、口頭となるとめっきり弱い。特に自分のダメな部分をさらけ出している時や不満を口にする時には、ものすごくぎこちなくなる。きっと、相手にどう伝わっているのかが気になって、相手の心の動きばかりに目がいって、それで自分の思いがそのまま出てこないのだ。


そんなわたしでも、何かを残したいという気持ちはある。


だけれど、最近よくこんなことを思う。
「何者かにならないことの、なにがいけないの?」「そんなに頑張らなくてもいいんじょない?」

なにかを変えなきゃいけない、何者かにならなきゃいけないなんてことはない。そう自分で思うことには勇気がいるけれど。

自分で自分の首を絞めすぎて、とっくに自分の限界を超えていたのだ。「いつか終わる」そんなことを考えなくていい。それはとても単純で、とてもシンプルだった。

一人でなにかを考えていると、どうしても自分の偏った思考が悪い方へ悪い方へと導いていく。本当はそんなに難しいことではないのに、難しくてどうにもならない方へと自分でも気づかないうちにゆっくりゆっくりと。そうしてついには性格や生い立ちにまで言及する。「こんなわたしだから、もうダメなんだ」なんて。

事実、最近は次々とやらなきゃいけないことが舞い込んでくる。毎日のように新しいことが増え、やったことのないことを始めようとして。それでもやると決めたのはわたしなので、辛いだの弱音を吐くわけにはいかない。「できるのかな」なんて、弱音を吐くことはできない。今できる最大限のことをやればいい、なるようになるからと、自分に言い聞かせて少しずつ前へ進む。きっと誰しもそんなふうに新しく始めることに向き合っているのだと思うけれど、それが重なってそのうち自分でも「このくらいはやれて当然なのだから」と思うようになっていたのだろう。

「やれて当然」の事が目の前に山ほどあれば、「やれたとしても嬉しくない」が積み重なる。これが当然だ。

そして徐々に「これくらいやれて当然だから、これ以上をやれなくちゃいけない」と思うようになる。この気持ちが「何者かにならなきゃいけない」の原因だった。

繰り返すが、今のわたしの日々に不満はない。普通に生きていたら絶対しなかっただろうこともあって、色んな人に助けられて、毎日のように愛する人と言葉を交わす。幸せだ。きっと今わたしに必要なのは「焦り」や「不安」ではなく、今をもっと味わって今をもっと喜ぶことなのだろう。

放っておくと気づかないうちに頑張ってしまう。頑張ろうと思わなくてもいつの間にか頑張ってしまう。そして気づかないうちに心の元気が無くなっている。

どう在りたいかを考えれば答えは明確だ。


「無理して何者かにならなくていい」

「いつか終わる、だけどそれは今じゃない」

これだけがわかっていればいいのだ。わたしの心はゆっくりとシンプルに戻っていく。