“かわいくなりたい”に込められた想い

「美容院に行くとき、いつもワクワクしてるね」と言われる。
あたりまえだ。「変わりに行く、わたしの世界を変えてやるんだ」。わたしは、こう願いながら美容院に行くのだから。


日々に溢れる“生まれ変わる瞬間”というものに、これまで数え切れないくらい救われてきた。宇宙が生まれてから今の今まで、時間は止まることなくゆるゆると進んでいるはずだが、不思議なことに人間にだけは“区切り”がある。年末年始、誕生日、入学式なんかはその代表で、「心機一転!」「今年こそは」と宣言が溢れる日だ。たった1日、たった一瞬を瞬いているだけなのにまるで“生まれ変わる”と信じているかのような、その安易な心がわたしは大好きで、実際のところ頼りにもしている。嫌なわたしも、変えたいわたしも、この日を境に離れられるなんて、なんて寛容な心持ちだろうか。そんなことを思う。

自分でもあっという間に落ち込み、何かにくよくよしながら、何かを引きずりながら、精神力の弱いわたしには“生まれ変わる瞬間”が誰よりも必要で、日常にも多くその瞬間を忍ばせている。

たとえば“朝”もそう。
1日のわたしを、夜のあいだにしっかりと終えて眠ることができれば、目が覚めたときには、新しい命になっていると信じられる。昨日と同じ失敗はもう絶対にしないし、昨日難しかったことも今日は変わるかもしれないと、希望を持てる。

たとえば、体中の汚れを泡で絡め取って、お風呂をあとにしたとき。

たとえば新しい洋服に袖を通すとき。新しい靴を履いた時。ネイルを塗り替えるとき。

そんな小さな瞬間の中でも、大切にしているのが“髪型を変えること”だ。簡単に変えられるのに、心に大きな変化をもたらしてくれる。

何をやってもうまくいかない自分も、満たされない思いも、縛られた価値観も、八方塞がりに思える状況も、いつだって変えられる。そう思えば思うほど、わたしはわたしの人生に対して寛容になれるし、怖がらずに済むような気がしてくるのだ。

ただ、年末年始や朝とは違って、誰かに頼まなければ生まれ変われない美容院でのオーダーは少し苦手だった。生まれ変わりたいという気持ちだけは強くあっても、芸能人やモデルの写真を見せて「こんな感じで」というのは勇気が出ないし、「ウルフカットで」「ミルクティーベージュで」なんて専門用語や流行りのファッション用語を出すのも恥ずかしく、かと言って「ここはこうしてください。ここはこんな感じで」と具体的に注文するほどの知識もない。それで、だいたいの場合「なんか、とりあえず可愛くしてください」とだけ言って済ませてしまうことが多かった。

けれど「生まれ変わりたい」なら、そう素直にお願いすればいいのだ、と気づいて、今ではこうオーダーする。

「世の中でわたしを一番可愛くしてください」
「見た目が変わったと感じられる髪型でお願いします」

美容師さんは神様ではないし、魔術師でもないのに、わたしは美容師さんがその力を持っていると信じて疑わないようにオーダーするし、長年お願いしている美容師さんも当たり前に「オッケー」と請け負ってくれる。「髪型ひとつで、そんなことにはならない」という嘲笑はお互いに全く持ち合わせておらず、髪の力を信じるふたりがそこにいるだけなのである。

「はいできた。これで、一番可愛いから」。

美容師さんがそう美容院からわたしを送りだして、一歩外へ出た瞬間。世界はもはや、さっきまでの世界ではなくなっている。

弱気だった心も一瞬で持ち直し、億劫だった約束にも前向きになれる。スキップしたい気分になって、とめられている車の窓は新しいわたしを映し出してくれる鏡になる。

かわいく生まれ変わると心が変わって、世界はより美しく見えるのだ。

男ウケ、女ウケ、彼ウケ、自分ウケ。気分がアガるから、恋人にかわいいと言われたいから、元恋人を見返したいから、新しいわたしになりたいから、、
世の中に溢れる多くのかわいくなりたい理由。

そのどれもをひっくるめて、たぶん、かわいくなりたい、生まれ変わりたい、と願うことは、自分が生きる世界を明るく照らしたい、と願うことなのではないかと思う。壮大だ大袈裟だと言われても、それが真実だとわたしは思う。

はじめて「世界を変えるために、美容院に行こう」と決意した瞬間をはっきりと覚えている。

大学1年生の時のことだ。

学部内では(見た目において)あまり目立たなかった女の子が、髪型を変えてきたのだ。

胸元まで伸びていたストレートヘアは、強めのパーマがかけられた短い髪になっていた。まるでアフロのような、愛らしいサルのキャラクター“モンチッチ”のような、今で言えば、『凪のお暇』の主人公のような。あまりの変貌ぶりに教室内は彼女が通り過ぎたその辺からざわめきが生まれていた。異様に目立つその子の髪。みんなが容赦なく浴びせる好奇の視線に気づきながらも、照れたり恥ずかしがったり説明することもなく、いつもの様子となんら変わりなかった。

お昼になって、お弁当を食べていると、その子がやってきた。どうしてその髪にしたの? と素直に聞く勇気もなく、「髪、めっちゃ切ったね」と告げると、「そりゃおどろくよね」と返答。

そうして、わたしは当たり障りのない話をしようとして、こう聞いたのだった。

「彼氏には、“髪型を変えるよ”って事前に話したの?」

こんなにも大きな変化だから、実は彼氏の要望だった、または「反対されたんだよね」と返ってくるとか、きっと何かエピソードがあるに違いないと思ったのだ。
帰ってきた言葉を、今でも忘れない。

「どうして言わなくちゃいけないの? わたしの髪なのに」。

言い方に棘はなくて、軽蔑している様子も全くなくて。ただ「一体、何を言っているんだ」と心底不思議がっていたことだけは分かる。

強烈な憧れで、思考が揺さぶられる感じがした。
わたしにとってそれは、当たり前のことなのに当たり前じゃなかったから。

「自分の髪だもんね」。小さく呟いたころには彼女はもういなかった。

「自分の意思で、自分の世界を変える。そのことに誰の許可もいらない」。彼女はそう言っているのではないか、そんな風に思えた。

当時のわたしは、勉強もアルバイトも私生活も見せかけだけは上手く行っていたけれど、内心はずっと不安だった。人にどう好かれるかだけを気にして「わたし」を置き去りにした日も沢山ある。わたしの気持ちより誰かの言葉を優先した日もある。その日々を自分の意思で変えようと決意して、わたしは長かった髪をばっさりと切ったのだった。

「変わりたい」

そう願えば、いつだって、何度だって、自分の意思だけで生まれ変わることができる。当たり前のことだけど、そのことはものすごくささやかな生きていく希望になると思う。

髪を切る。
わたしの世界を変えるために。
少しでも、自分の生きる世界を明るく照らすために。
これからも、かわいくなり続けるのだ。