自分の思いを「言えない」女
すっかり元気を取り戻し、今日は買い物に出かけた。
ファッションを楽しむ余裕も出てきた。
途切れるまではなんとか維持しようと意地になっていたけれど
いざ「マイルール」を守り続けることが難しくなると、
誰にも強制されていないはずのそのルールに
勝手に囚われて自分が苦しんでいただけなのかもしれない、と思う。
noteの毎日投稿カウントの話。
日付を超えるまでに書き終えることよりも、
時間は度外視して、自分が納得いくものを書き上げることを
もっと大切にしてみてもいいのかもしれない。
わたしは今でこそ、自分の主張は一丁前にできるようになったが
昔は自分の思いを全く「言えない」女だった。
というか、正確には、「自分が何を感じて何を考えているか」
わかってすらいなかった、というのが正しいのかもしれない。
自分の感じること、思うこと、考えたことよりも、
周りにどう思われるか、どう見られるか、
そして周りを(自分の存在や一挙手一投足で)どんな感情にさせてしまうかの方が大事で、
愛されたい、好かれたい、そして何より嫌われたくない感情が強かった。
誰かの一番になりたかった。
そんな自分のことを受け入れ、世界一大切に扱ってくれる人が欲しかった。
わたしが自分自身を差し置いて、犠牲にしてでも、
「周囲」や「他人」を大切にしているのだから、
そんなわたしは報われるべきだし、大切にされるべきだと思っていた。
だから恋人が欲しかった。素敵な恋人ができるべきだと思っていた。
漫画やドラマで見るような、甘くて優しくてわたしの世界を一変させてくれるような、なんだかよく分からないけどすごい王子様を求めていた。
そんなわたしの歪んだ、そして身勝手な頑張りは
一向に身を結ぶことはなかった。
こんなに身綺麗にしていて、相手に何を言われても受け止めて許して
理解あるいい女であるために努力していたのに、
誰かの一番に選ばれるどころか、二番手、三番手、
雑に扱われ、名前すらつかないまま終わる関係もあった。
一方で、わがままで、身勝手で、
コロコロ意見を変え、相手を振り回し、自己主張しまくる
わたしが一番「こうはなりたくねぇ」と思っていた女の子ばっかりが
大切に扱われ、一目置かれ、いつもチヤホヤされていた。
理不尽だ。
わたしはその自分の境遇を、自分の持って生まれた見た目や、
性格、魅力、なんならもはや運命などというもののせいにして
いつもどこか苛立っていた。拗ねていたし、八つ当たりもしていた。
そのせいで、こじらせてきた人間関係も沢山あった。
そこから紆余曲折あって、
わたしは「自分を大切にすること」を知った。
他の誰かより、まずは自分自身を大切にし、優先し、愛さないことには
誰からも大切にされることはないし、
まずもって愛されることはないと学んだ。
自分を大切にするというのは、いろんな方法があるけれど
わたしは特に、自分の本音を後回しにしすぎていた。
腹の中で渦巻く感情と、人様に見せる自分があまりに違いすぎた。
嫌われたくなさすぎて、本当の自分は隠して蓋をして塞いで
偽物の「我慢強くて物分かりが良くて周りのために尽くす」自分を
ずっと演じていた。
だから、腹の中に渦巻く感情にまず気づき、自覚するところから始めた。
本当のわたしは、めちゃくちゃ性格が悪かった。
口では「尊敬する」と称賛していた同僚のことを
腹の中では「クソ女」と思っていた。自分にドン引きした。
それでも、自分の中に蓄積された鬱憤が外に出されるたび、
自分自身に見つかり、泥の渦が言葉にされていくたびに、
体の中から膿が出ていくような、何かから解放されるような感覚があった。
「他人から嫌われたくないから」という大義名分で自分を偽り、
自分を檻に閉じ込め、自分を最も疎ましがっていたのは、自分自身だった。
そのくせ、他人には、檻に閉じ込めている自分ごと
全てを受け入れて愛してほしいと望んでいた。
こんなに重たくて難易度の高い要求、通るわけがないのに。
わたしがわがままで身勝手だと思っていた彼女たちは、
ただ自分を大切にし、自分を偽らなかっただけだったのだ。
本当はわたしも、彼女たち以上にわがままで身勝手だった。
わたしが、檻の中に閉じ込めていた自分と仲直りして、
わがままで身勝手な自分を解放し、思いを言葉にしていったら、
誰もわたしを嫌わなかった。
それどころか、他人といる時の居心地が良くなった。
わたしの意向が通るようになり、尊重してもらえている体感がもてた。
人間として、この世界で生きやすくサバイブしたいのなら、
言葉を使うしかないのだった。
思いを自覚し、言葉にし、相手に伝える。
腹の中の思いと、外に出す言葉を一致させる。
外に出す言葉をできるだけ思いに忠実に、素直に出せるようにする。
たったこれだけのことで、これほど生きやすさが変わるなんて
正直言って義務教育で教えて欲しかった。
自分の思いを言葉にして伝えられるようになると、
相手との関係が深まる。
一目置かれ、大切にされる。
意志の疎通ができて、誤解がなくなる。
一人の人間として、尊重される。
相手を悪者にしたり、嫌ったりする必要がなくなる。
そして、自分の望んだ形にことが運ぶ可能性が、グッと増す。
だから、本当は、どんな感情を感じてもいいし、
どんなことを考えても、望んでもいいのだ。
思ってはいけないことなんてない。
どんな自分だって、どんなにわがままで身勝手だっていいのだ。
そんな自分を封じようとするから、ねじ曲げようとするから、
歪んでおかしなことになるのだ。
自分の思いを言葉にして「言える」ようになれて、
本当に良かったと思う。
ストレスはたまらないし、モヤモヤも次の日まで引き摺らないし、
常に周りに対してフラットに愛情を感じられて、
感謝して過ごせるから。ベースがご機嫌の状態なのだ。
これがすごく生きやすいし、肩の力が抜けて楽なのである。
数年前の、常に何かに苛立っていた自分からは信じられない変化だ。
今日は気が済むまで書いてみたら、
いつもの倍の量の文章になってしまった。
これも言葉にすることの練習だと思って、また明日もやっていく。
また書くね!
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