感動してたまるかと思った話
とにかく書くことを継続してみよう、4日目。
日記というか、思考メモのようなnote。
最近バズっている動画があると聞いた。
80年代の邦楽っぽい曲がまとまったプレイリストが
動画サイトで評判になっているらしい。
だけどその曲たちは、実際に当時存在していたものではなく、
最新のAIが生み出した「それっぽい曲」なのだという。
また、別のSNSでは
AIに投稿テーマを出力させて、サムネイルも作らせて、
極力手間や時間をかけずに「投稿」を重ねることで
簡単に稼げるアカウントが作れる!と紹介している人がいた。
AIってこんなに便利なのか、
こんなことまで出来ちゃうのか…と感心するのと同時に、
人間が脳みそが沸騰するくらい考えて考えて時間も手間もかけて
必死に生み出すコンテンツと、
AIがパッと出力したコンテンツが
だいぶ遜色なく同じ棚に並ぶようになっていることに、
ちょっとゾッとした。
わたしが心を揺さぶられるとき。
そのコンテンツは、一体誰が作ったものなんだろう。
わたしは小さい頃から絵を描くのが好きで、
将来は漫画家になりたいと思っていた時期もあった。
今もこうして、プロでは無いにしても
頭をうんうん唸らせながら文章を書いたりしている。
「何かを生み出す」ことを、形を変えつつも
長いこと細く続けているから、
人間が何かを生み出す時の苦しみや、
その一つ一つのコンテンツに含まれる
時間的・経験的な重みも、少しくらいは想像ができる。
だからこそ、エゴなのかもしれないけど、
その「生み出す過程」の重みも含めて、
コンテンツの価値を受け取りたい。
というか、それも含めて、創作物の価値じゃないのか?
人間の生み出すもの、その凄みに圧倒されたい。
創作する活動をかじっている身としては、
このバズり動画の話を知ったとき、
「これから先、わたしは人間とAIどちらが作ったものか、見抜けるだろうか?」
「AIの作ったものに、簡単に感動してたまるか」
などという
妙な対抗意識が生まれてしまった。
数年前、
「AIが発達して世の中がもっと便利になったら、
単純な労働はAIが代わりにできるから、
わたしたちは自分の好きなことややりたいことを仕事にできる」
みたいなことを聞いた気がするけど、
蓋を開けてみたら、むしろ創造的作業ばかりAIがとって代わっていて
好きなことや才能を活かして仕事しているはずの
クリエイターの立場ばっかり脅かされてるじゃないか…
AIに負けないためには、どうしたら良いんだろう。
日本の片隅でお茶をすすりながら、
ただの一般人が思い悩む、夜。
こんな日もある。
また書くね。
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