もったいぶるのをやめたい
三連休もあっという間に最終日になってしまった。
天気が良くてうれしい。
昨日、noteを書いた後、
思い立って冷蔵庫の中を掃除した。
はるか昔に賞味期限の切れてしまった瓶詰めの調味料があったから、
中身を捨てて、容器を洗って…
庫内をアルコール除菌シートで拭いて、
かなりスッキリした。
わたしはすぐもったいぶってしまう性格だ。
お気に入りのものほど、大切に取っておこうとし過ぎて
旬を逃してしまう。
食べ物もそうだし、服とかもそう。
「とっておきの時にために…」と思って取っておいていると、
人生にそうそう「とっておきの時」は来なくて
いつの間にか、「使いどきを逃してしまったもの」に変わってしまう。
食べ物なら賞味期限が過ぎているし、
服なら流行が終わっていたり、自分の好みが変わっていたりする。
なぜこんなことが起こるかというと、
わたしは「無くなる」「壊れる」「使えなくなる」「汚れる」「終わる」
そういう瞬間が見たくないらしい。
もったいぶらずにすぐ使うと、消耗してしまうが
その消耗が悲しいから、寂しいから、避けているようだ。
もっと深掘りする。
なぜ消耗が嫌なのか?消耗するとどんなことを感じるのか?
…自分に聞いてみる。
「もしダメになったら自分の使い方に問題があったように感じる」
「まだ使いたい、味わいたい気持ちがあるうちに、使えなくなるのがくやしい」
「消耗したのは、もったいない使い方をしたからでは?と
自分の使い方へダメ出しが起こる。不要な自分責め」
「消耗すると、価値がなくなる、下がる気がする。
自分にその責任が取れるだけの価値を感じられない」
なるほどなぁ。
結局、「使う」ことによって生じる消耗は
自分が使ったせいだから、自分の責任になる。
もし、ひどい消耗をしたら?無駄にしてしまったら?
自分の責任のもとでダメにしてしまったら?
その時の失望や、残念な気持ちに、自分が耐えられないということらしい。
その、消耗することを恐れる素敵なものの価値を
自分より大きくしてしまっているんだろう。
今ここまで書き出してみて思ったことがある。
わたしは消耗することによって感じる嫌な気分を先延ばしにするために
安易に「とっておく」を選択しているけど、
もしそのまま取っておいたがために旬を逃すようなことがあれば、
また別な形の「もったいない」という嫌な気分を味わうのだ。
しかも、期待していた喜びは享受することのないまま、
ものを処分するか、手放す結末になる。
…取っておくって、意味ないのでは…?(真理にたどり着いた感)
夫はわたしと真逆で、気に入った服なんかはどんどん着るから
穴が開いてしまって、手放すことも多い。
夫が手に取らないのは、取っておいているわけではなく、
ただ「要らないもの」「興味のないもの」なのだ。
わかりやすいし、ちゃんとそのものの価値を受け取っている気がする。
夫には、自分を責めるという癖みたいなものはない。
本人は何も考えていないだけのようだけど、
わたしはその姿勢がとても羨ましい。
自分の手に入れたどんな「もの」よりも、
自分自身の存在や、自分の日常、時間、自分の気分が一番大事だと
心から腹落ちできたら、
もったいぶって取っておく…という選択をすることは減っていきそうだ。
どんどん使って、どんどん消耗して、
代わりに思い出をしっかり刻んでいく。
価値を享受することなく手放すより、思いっきり受け取って
カスカスになるまで使って、きちんとさようならをする。
もとより、自分の人生を彩るために買ったものだもんな。
洗った後の調味料たちの瓶を眺めながら。
また書くね。