当たり前を解く

毎日書き続けて、いよいよ何日目なのかわからなくなってきた。
「続けてる」って感じがする。

ここ最近、天気が悪い。
薄々気づいてはいたけれど、天気や気温はこちらの機嫌も左右してくる。
あれだけ「早く涼しくなって欲しい」と待ち望んだ秋なのに
こんなに肌寒かったっけ…と切ない気持ちになる。
もう言ってる間に、11月。


わたしはずっと、許せないことがあった。
他人の、準備不足や段取り不足。
具体的に言えば、明日の予定を細かく立てずに出たところ勝負だったり、
事前の場所や時間の下調べをしないことによって
当日モタついたり、無駄足を踏んだりすること。
計画性のなさ、とも言うだろうか。

事前に準備や段取りがうまく出来ると、無駄がないし、
時間も有効活用できるから、気持ちがいい。
この「気持ちがいい」という感情が、
わたしに準備や段取りを重要視させるポジティブな理由だと思っていた。

夫はわたしと真逆で、あまり事前に計画を立てない。
そのせいで、これまでも外出前や用事に際して
喧嘩になることがとにかく多かった。
無駄なく、スムーズに事を進めたい私と、
臨機応変に、その時の状況次第で自由に決めていく夫。
予定していた時間からズレたり、想定どおりに事が運ばないと
いつも私はイライラしていた。

ずっと、自分が正しくて、夫の考え方は間違っている、
変わって欲しい、直して欲しい、成長して欲しいと思っていた。
だけど、相手をコントロールしようとしても仕方ない。
(わたしも夫も我が強いので尚更)
とにかく、用事があるたび、出かけるたびに
わたしが一方的に機嫌を損ね、夫婦の雰囲気が悪くなるのが嫌だったので、
自分が苛立ってしまうこの思考をどうにかしたいと思った。


計画を立てること、準備をすること、段取りをすること
それがわたしにとっては当たり前で、親からもそう躾けられた。
これまでそれを「わたしにとって当たり前だから」という理由で
他者もそうすべきだと思い込んでいたけれど、
わたしが機嫌を損ねてまでそこに固執してしまうのは、
それをやらないことによって生じる何かを恐れているからでは?と考えた。

自分自身に「計画性がなく、準備もせず、段取りもなしに何かをして
それによって失敗や無駄が生まれることの、何がダメだと思う?」
と聞いてみた。

すると出てきたのは、
・かっこ悪い
・ダメな人間だと思われる
・見捨てられる
・怒られる
・(社会や世間から)置いていかれる
・機会を失う(手に入れられるはずだった何かを手に入れられなくなる)
・負ける、損をする
・あるべきルートから外れる(成功、幸せ、安心、安全)
というネガティブワードのオンパレードだった。

具体的に周囲を巻き込んで迷惑をかける可能性があるなら
もちろん事前の準備や段取りは絶対に必要だ。

だけど、わたしが書き出したのは全て「架空の」、
社会や世間といった漠然とした「何か」から与えられる落第印で、
完全に「勝手な頭の中のイメージ」だった。

計画性がないこと、事前準備を怠ることや段取りをしないことに、
わたしはこんなにも必要以上に重たい意味づけをして、
そのネガティブな影響に怯えていただけだった。
怯えていたから、喧嘩に発展するほど攻撃的な気分になっていたのだ。

こうして書き出してみれば、
わたしは勝手に自分の脳内で、社会や世間から
落第印を押されることに怯えていただけ。
イライラするのは自己保身のためだったのだとわかって、
なんだか自分の薄さ、浅さにがっかりしてしまった。
(自分の中の強迫観念のようなものの正体にも気づけてホッとした)
こんなもんなんだよな、わたし。
あんなに正しさを振りかざして怒っても、何にも正しくなどなかった。

夫に対するイライラも、これからは理性的に
自分で対処ができそうだ。

わたしはこういう、自分で自分につけている鎖みたいなものが
ものすごく多い。
べきねばばかりで、ルールに自ら縛られにいっている。
自分の周りにいてくれる人たちを、そのせいで傷つけたり
否定したくないから、少しずつ緩めていきたい。

また書くね。

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