どう生きたって間違っていない

結局、今朝は早起きして無事に健康診断を受けることができた。
朝早くから活動できると、一日が長くてうれしい。。


今日はそのあと、半年に一回の、学生時代の友人とのホームパーティーに参加した。
この関係になって20年経つけれど、こうしてみんなと会って、飲み食いしながらおしゃべりできるのが嬉しい。


ちょうど、今年精神的にかなりハードな期間を過ごしたと話してくれた友人がいた。
振り返って感極まる友人の姿を見ていたら、情にもろくて優しい友人の人柄がよく出ていて、
きっとしんどかっただろうけれど、そうやって思い悩んだり葛藤するところも含めて、本当に、学びや実りある時間を過ごせたんだろうなぁと思った。

周りでそれを聞いていた友人たちの中には、合理的であることを一番に大切にしている人や、
情に流されずすんなり割り切れる人もいたから、
友人の葛藤や思い悩む姿を「もったいない」といっている人もいた。

きっと、もっと簡単に割り切れたり、相手との線引きが上手くできると、
時間や労力を本当に必要なところに割けるはずで、
わざわざ辛い思いをしたりせずに済むのだろうと思う。
それができる人は、人生をうまく泳いでいるんだろうな、と思う。

わたしも割と情に流されやすいタイプというか、考えすぎて思い悩んでしまうタイプだから、
合理的に生きている人たちから、たまに「理解ができない」と言われたり、「無駄じゃないか?」と言われたりすることがあって、
それを言われるたびに、自分の生き方や考え方を否定されているような気持ちになっていた。

わたしからすると、思い悩むその当時はものすごくつらかったりしんどかったりするんだけれど。
その経験が糧になったり、それによって誰かの痛みがわかったり、
より人生を色濃く味わえるとも思っている。
無駄ではない…どころか、それこそ生きているという感覚そのものじゃないかとすら。



人はそれぞれ、人生をどう味わうか?という点において、異なったテーマを持って生きていると思う。

無駄を省き、消耗を避け、不快を防ぎ、なるべく効率よく、自分にとって価値があると思える時間をより多く過ごす生き方。

はたまた、ポジティブな感情も、ネガティヴな感情も、全部味わい尽くして、時間をかけてでも内省しながら前に進む生き方。

おかしな話だと思われるかもしれないけど、人生を引きで見たとき、一見ネガティヴな感情すら、きっとわたしたちは味わいたくて、経験したくて生まれてきていると思うから。

どちらの生き方も優劣はないというか、正しいとか間違っているとかの話ではなくて、
いつだって与えられた人生という命の時間をどう使うか?は本人の自由なんだよな。

ただ、相手の過ごす時間や、相手がなにを軸に生きているかを、
自分の価値観で「無駄」だとか、「意味がない」などと勝手に切り捨てる資格だけは、お互いに無いはずだ。


うまく書けたか自信がないけれど、
久々にそういう会話のやり取りを見ていて、心がザワついて。

今年、友人がその困難を乗り越えられたことを本当に良かったと思うし、出来ればこの先に辛い思いをすることが少なければ良いなと思うけれど。
その友人の生き方…人と人との関わりに心を寄せては、思い悩んだり葛藤したりする姿勢も、友人の良さであり大切な価値観だから、
まったく間違っていないし、恥ずべきことでもなんでもないよとエールを送りたい。


何を大切にしていたっていいんだ。
何を味わい何を経験するために生まれてきたかは、人それぞれ違うのだから。


また書くね!
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