「もったいない」についてリライトしてみた

なんか、一気に乾燥してきた気がする。
11月も1週間たったんだね。

今日は、衣替えをした。
部屋着やインナーを冬仕様のものに変更。
数日前から、ホットカーペットも設置完了している。

いよいよ冬が来るのか、あっという間に年末なんだろうなと思う。
去年の今頃は、結婚式会場の下見をして、契約した頃だ。
あの時の、興奮とじわじわ湧き上がる喜びは
いま思い返してもキュンとする。
結婚式なんて、憧れるだけの遠い世界の話で、
わたしには無理なんじゃないかと思っていたから
実際に家族や親族、友人が一堂に会するあの空間を体験できて
本当に良かったと思っている。

世間はもうクリスマスモードだけれど、
その前にわたしの誕生日がある。
今年はどんな風に過ごそうかな。
お祝いしてもらえることがわかっているなんて、
なんて幸せなことだろう。


一昨日書いた、「もったいぶる自分」についての話。
だらだら書き連ねてしまって、書いた自分が一番消化不良だった。
あの後色々と思案しながら過ごしていて、
結局のところ、「もったいない」と感じる矛先が違うだけなのではないか?
と気づくことができた。

夫は「食べないなんて」「使わないなんて」もったいない、
つまり、どんな時であれ自分が食べる/使うために用意したものなのに
それをしないなんて、ものが無駄になってしまう。という考え方で。

わたしは「今食べるなんて」「今使うなんて」もったいない、
つまり、とっておきの時間のために用意したものだから
今(というどうでもいい時間)にそれを食べる/使うなんて
ものに相応しくない、ものを台無しにしてしまう、という考え方。
(食べるべき/使うべきタイミングは改まった機会を作るべきであるという考え方)

なんか、書いていて思ったのだけど、
わたしはものの価値を上に置きすぎて、
自分の何気なく普通に生きている「今」という時間を
めちゃくちゃ見くびっている気がしてきた。
対して、旦那はいつも「今」を大事にしていて、
どんな瞬間も自分がとっておきなのだろう。
いや、そもそも自分の生きている時間に、とっておきとか普通とか
そういうラベルを貼ってない気がする。ものに対しても。

“欲しいものは欲しいと思ったその時が旬なのだから、
すぐに味わわなかったらもったいない。
自分はいつだってどの瞬間もとっておきだから、
いつでもその恩恵にあずかっていいはずだ。”
この考え方の方が、どんな瞬間も楽しそうだ。これを採用しよう。

わたしはこの「もったいぶって旬を逃す」ことを
本当に昔からやり続けていて、
後から気づいて「もったいなかったなぁ」と後悔するから
なんとか軌道修正したくて、今回このテーマでリライトしてみた。

正直言って文章の質はまだ納得できていないし、
もっと軽快にわかりやすく書けないのかよ…と思ってしまうが
また書きたいと思ったときに書いてみようと思う。

思いっきり味わって、旬を逃さず美味しくいただこう。
今夜はとっておきのハーゲンダッツを食べてから、眠るぞ。

また書くね。



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