へなちょこなゲームとへなちょこな私
出会いと別れ?
小学生の頃、我が家にはファミコンがあった。コントローラーが臙脂色で本体はおそらく白。だけど、両親が喫煙者だったからタバコの脂でクリーム色だったやつ。マリオとピンボールとゼビウスと麻雀のカセットがあった。買ってもらった記憶はないからたぶん、新し物好きの父が興味本位で買ったのだろう。
なにこれ、ゲームっておもしろい!
ひとり感激しているうちにスーパーファミコンが発売された。残念ながらうちでは買ってもらえなかったから、スーファミを持っている友達の家に行っては遊ばせてもらった。それだと遊べる時間が限られているから全然上手くはならなかったし、対戦では負けてばかりだった。けれどもとにかくたのしかった。夢中になった。
ファミコンなどの家庭用テレビゲーム機はその名の通りテレビが必要だ。我が家には一台しかテレビがなかったので、誰かが見ている間はゲームで遊べない。そこで私が手に入れたのはゲームボーイだった。
たしかお年玉を貯めて自分で買ったような気がする。初代の、色がグレイで子供の手には大きすぎるやつだ。お小遣いが少なかったからソフトが買えなくて、たくさん持っている友達から借りて遊んでいた。唯一持っていたのは「ゼルダの伝説 夢をみる島」だったけれど、攻略本は買えないし自力クリアもできなかった。
というか、実を言うと昔からゲームをクリアすること自体にあまり興味がない。ゲーム機を操作すると画面の中で何かが起こる、という現象そのものが好きなのだ。
小中学生の頃の私にはハマっているものがいくつかあって、なかでも少しばかり問題になりそうなものが二つあった。一つはゲーム、もう一つはテレビコマーシャルだ。二つの共通点は何かというと“無限につづけられる”ことだった。
親が怒り出すまでゲームで遊び、家族が寝静まる夜中や早朝にこっそりテレビをつけてCMばかり探して見る日々。ゲームは、クリアすることを目的としない私には無限に遊んでいられたし、CMは、番組と違ってほぼ一日中流れているから無限に見ていられた。子供ながらに私は思ったのだ。このままではダメ人間になるな、と。
そこで私は引越しを機に、ひとまずゲームボーイを手放した。さらばゲーム。私は廃人などにはならぬ。
となるはずが、すぐに私は出合ってしまった。マッキントッシュという悪魔の箱に(大袈裟)。
悪魔きたりてピーヒャララ
個人で紙媒体広告のデザイナーをしていた父の仕事部屋には、よくわからない道具がたくさんあった。メモリが付いている台とかライトが仕込んである台とか。サラサラしたりドロドロしたりする謎の液体の入った茶色い瓶も、大中小の絵筆や刷毛の類もたくさんあった。忙しい時に邪魔をすると怒られるから不在なのを見計らってこっそり見物したそれらの道具類は、ある時、忽然と姿を消す。
新し物好きだった父は、仲間内では手作業からデジタルグラフィックへ乗り換えるのが早いほうだったらしい。それまでパソコンなど触ったこともなかっただろうに、当時はかなり高額だったアップルコンピュータのマッキントッシュを導入。解説本を片手に、AdobeのアプリケーションIllustratorを独学でマスターしたそうだ。
中学の情報の授業でWindowsパソコンの使い方を少しばかり習っていた私は、父のMacに興味津々だった。父は、雑誌の付録と思しきゲームのデモ版集のCD-ROMを出してきて「これやってみたら〜?」と言った。もちろん私は飛びついた。
父の仕事が暇なときだけ1〜2時間ほど使用を許されるMacの前に陣取って、説明書が英語でさっぱり読めなかったり、アイコンがいくつもあってどれをクリックしたらゲームが始まるのか不明だったりするフォルダを、何日もかけて、一つずつ開いていった。どれもデモ版だから当然ながら数分で遊べなくなってしまう。その中で比較的長く遊べたのは有名な「THE Tower」。最終的にはこのゲームと、「むづかしい本を読むとねむくなる」という奇妙なゲームで遊ぶのが、私の定番になった。
心に残ったゲーム
この「むづかしい本を読むとねむくなる」は日本のゲームだった。けれども、どこをクリックしたら操作方法が表示されるのかまったくわからない。
起動すると、心地よいけれど決して明るくはない、むしろ若干不穏な感じのする音楽が流れ出す。スタートボタンらしきところを押すと画面いっぱいに線画で描かれた机が現れて、中央にはメガネをかけたショートヘアの女性が座っている。やがて、画面の外側から歩いてきた小人が机の上をふよふよと移動し始める。
おそらくこのゲームは“女性を操作して小人に働きかけるゲーム”だとは思うのだが、女性をクリックしても小人をクリックしてもなんにも起こらない(そのCD-ROMに入っていた他のゲームはマウスのクリックとキーボードのカーソルで操作するものばかりだった)。一つも操作はできないけれども線画風の絵柄と音楽が大好きだった。私は、お気に入りのアニメーションを見るかのようにゲームを何度も起動した。
教えて、グーグル先生
そんな中学時代を経て、高校は演劇部に入って部活三昧の日々を過ごした。もうゲームとは縁遠くなったかと思われたところに携帯電話が登場する。大学生になった頃には画面がカラーに。月額300円とか買い切り100円とかのケータイ向けゲームがたくさん現れた。三文堂とか、カイロパークとか。そりゃもう、遊ぶよね。
大学を卒業して数年後にやっとiPhoneに乗り換えた。それまでは、コンピュータウイルスが怖いからと言ってインターネットとは距離を置いていたのだが、晴れて自由にネットサーフィンができるようになってグーグル先生にこんな質問をしてみた。“むづかしい本を読むとねむくなる Mac ゲーム”検索、と。
中学生の頃にハマっていたあのゲームは、イタチョコシステムというメーカーが出していたことがわかった。どうやらキーボードのアルファベットキーで操作するらしい。どおりで、クリックしても動かなかったわけだ。
イタチョコシステムは他のラインナップもかなり変わったゲームばかりで、失礼ながらメジャーではないと思われる。だって当時のゲームはドット絵が主流なのに、手描き風の線画ばかりなのだ。もう、見た瞬間から異彩を放っているではないか。
イタチョコという名前は“へなちょこ”が“板チョコ”に変化して、“板”には“痛”がかけてあるんじゃないかと想像している。もじりとダブルミーニングだ。言葉遊び大好き人間としては、ときめかずにはいられない。作者はラショウさんという人。うん、変人に違いない(決めつけ)。
ところで私は詩を書く人間なのだが、インターネットが使えるようになったのでネット詩に参入することにした。そして情報発信に使えるんじゃないかと思ってTwitterを始め、そこで偶然見つけてしまうのである。ラショウさんご本人を。
お願い、ラショウさん
現在のラショウさんはゲーム開発はお休み中。手製の仮面をつけて踊ったり、人形浄瑠璃を上演しているらしい。やっぱり変な人だ。笑。ただ、それらの活動はコロナ禍で制限されてしまったから、ツイキャスを配信したりTwitterで漫画を連載したりもしている。
新たな開発は今のところなさそうだけど、最近になって「ボコスカウォーズⅡ」がSwitchに移植されたり、「野犬のロデム」や「弁当の素晴らしさをあの2度3度」がスマホ向けアプリとして再配信されたりもしている。となれば、否が応でも期待してしまうではないか。いつか再び「むづかしい本を読むとねむくなる」で遊べる日が来ると。
ラショウさんによると「むづかしい本を読むとねむくなる」はあまり人気が出なかったらしい。待っていても形を変えての再販はないのかもしれない。でも、ここにとてつもなく大ファンだった人間がいることだけは伝えたい。私は、一度でいいからミス・リンリを操作してみたいと、心から願っているのだ。
あ、これって「心に残ったゲーム」じゃなくて「心残りのゲーム」なのかしら? なんだ、随分とへなちょこだなあ。
※タイトル画像はこうだたけみによるファンアートです!