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こだわりや執着から解放された話

田舎生まれの私にとって、結婚したら子どもを産んで平凡な家庭を築いていくことは"あたりまえ"の感覚で。楽しいことは若いうちにするものであって大人になったらいつか親になって、やりたいことはできなくなってもそこに幸せがあるんだと疑わなかった。

一方、自由の国アメリカで生まれ育った当時の夫にとってそれは"あたりまえ"ではなくて。これが大きな大きな溝となり、幸せなはずの結婚生活は、お互いにとって「相手を幸せにしてあげられない」という悲しさと「自分の思う人生を歩めないかも」という不安で押しつぶされそうだった。正確には何回も押しつぶされた。

そんな時期が約2年続いたころ。
その間、カップルカウンセリングを受けたり、個人的にカウンセリングを受けたり、信頼する友人にもたくさん話を聞いてもらった。私の気持ちに寄り添う言葉はたくさんもらったけどなんだかスッキリしない。そりゃそうだ。私の親友は私と似た考えを持ってて、同じような環境で育って、同じような未来を想像してるから。その時の私には前に進むきっかけが欲しかった。

心理学の本を読んでいると、「人間関係の中で1番大事なのは自分との関係だ」みたいな言葉を見た。めちゃくちゃしっくりきて、それだ!と思った。じゃあ自分自身と対話してみようと思い立ち、たくさん向き合った。向き合いたくない事実もたくさんあったけど、ゆっくり自分と対話してみると、知らなかった自分がいて驚いた。そんな考えを持ってたんだ。そんなふうにも考えるんだ。絶対正しいと思い込んでいたのはそういう理由があったのか、と。でも、知らなかった自分を受け入れるのは少し怖かった。自分が正しいと信じて疑わなかったことが、そうじゃないとわかったから。この受け入れる作業には時間がかかったし苦しかったけど、ある日、ふと、ふわっと心が軽くなった。

こだわりや執着、恥、いろんなものからふわっと解放された感覚。

よくよく考えると、自分にとって大事だと思っていた価値観は、少しだけ視点を変えるとそんなに大事じゃなかったりもした(私の場合は)。ここ数年は、執着心がピンとキツく張り詰めていたから、少しだけゆる〜くしてみた結果なのかもしれない。

これまでの私は誰かのために生きていた気がする。
親を喜ばせるため、夫を幸せにするため、社会に認められるため。
特に大人になってからは、自分のために生きてきただろうか。誰かのために生きることも幸せだと感じているけど、それだけではしんどい。まずは自分が自分を大事にして幸せにしてあげることで、ようやく人を幸せにしてあげられるんだということに、いろんなプロセスを通して辿り着いた。

そしたら、「この先どんなことがあっても大丈夫」と思えるようになった。不思議なもので、解放される瞬間って本当に一瞬で。あんなに苦しかったのに。あんなに泣いたのに。みたいな。

こうやって自分自身の殻を破って、少し成長できたことが嬉しかった。しんどいこともあったけど、学びのほうが大きかったと思える。それは、逃げずに一緒に問題に向き合って、決して否定せずに受け入れて、大切に愛してくれた当時の夫のおかげだと心から思う。

あともうひとつ。
やっぱり他人を変えることはできないから、自分が幸せになるために自分が変わってみようと思ったのも大きかったかもしれない。大事なのは、「相手のために自分を変えるわけではない」ということ。相手のためにと思うと、それはいずれ恨みに変わったりする可能性が高い。私は「自分のために自分を変えた」。そしたらとても軽くなって、あんなに辛かった人生も前が開けてまた笑えるようになっていった。

結果的に、彼とは随分話し合って別の道を歩むことに決めたけれど、お互いに一緒にいた時間に後悔はない。無駄だったとも全く思わない。むしろ本当に心底感謝していて、お互いにとって、今でもなんでも言える大切な存在。家族というと語弊があるけれど、親友のような兄妹のような、人生に欠かせない存在としてきっとずっと自分の幸せに向かって生きていく糧になるんだろうなと思う。

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