信じられないことは、それが真実だとしても、誰かの中では虚偽になる
ちゃんとした証拠がないと、信用できないという話。
とある知り合い(男性)がいる。
その知り合いについて本人から聞いたことがある話がこちら。
・未婚
・彼女がいる(半同棲中
・現在仕事をしていない(結構長い間
・厄介な病気にかかっている
・身体的な障害はないが、病気の影響で現在不自由
・簡単な作業が難しい
という状態らしい。どうやって生活しているのかは不明。
一方でこれらの話について、自分が実際に目で見て確かめられたものは
一つもない。つまり、
・彼女を見たことも名前も知らない
・どこに住んでいるのかも知らない
・転職したことは知っているが、どんな仕事に就いたのか、また退職したのかは知らない
・病気の事実を確認したことはない(見舞いに行ったこともない
・ここ最近会っていないので、どんな様子なのか知らない
これらの状況と、本人の身体的特徴・年齢などを踏まえた上で、
自分が聞いた話は真実なのかもしれないけど、
正直ほとんどは真実だとは思っていない。
だから、今のところ彼に彼女はいないと思っているし、
当然同棲もしていないだろうし、病気もしてないだろうし、
身体的に不自由にもなっていない。
だが、仕事をしていないのは真実のように思う。
むしろ仕事をしていないということを隠すために、いろんな情報を足して
これこれこういう事情があるから仕事ができないし、見つからない。
でも彼女はいてそこそこ幸せに暮らしているということを言いたいんだと私自身は思っている。真実は知らないし興味もないので、深堀しようとは思わない。
ただ、信用してほしいなら、それなりの証拠となるものが必要だし、
大人になったら誰かが証明してくれるのではなく、自らの状況を証明するには自らが証拠を提示して証明するしかない。これは裁判でも同様である。
世知辛い世の中だが、信じられないものは信じられない。
信じられなければ、信用は得られない。
これまでの付き合いなどによっても信用しうるか否かについては
変わってくると思うが、第三者に信用してもらおうと思ったら、
形のあるものの提示でしか判断できないことには注意すべきだろう。
■本日のオススメ本
今日はこころの移り変わりについて描いた歴史的名著を紹介して終わる。
夏目漱石後期の作品。3部構成で人の倫理観が描かれている。
1部は「先生と私」。2部は「両親と私」。3部「先生と遺書」。
先生と懇意になり、独特の考え方に興味を持った私。
様々な価値観に触れるにつれて、その価値観に至った理由を追求しても答えてくれない先生。どこか現実離れした先生には、細君も知らない秘密があった。
父が病気で先が長くないこともあり、実家に帰省した私は、田舎の人々の価値観に戸惑いを覚える。そこに先生から連絡が来るが、父の体調を理由に帰宅できない旨の返信をする。するとそれに対する返信か、大量の手紙が届く。それを開いた私は、父の様子を顧みず東京へ向かった。
電車の中で開いたその手紙は、先生からの遺書だった。
これまで私から聞かれたことの全てを綴った、先生の過去の話だった。
少年期に突如訪れた両親の死、叔父との金銭トラブル、その後上京して下宿することになった家のお嬢さんへの恋心、旧友への思い、旧友のお嬢さんに対する恋心を一方的に打ち明けられてからの嫉妬、お嬢さんを自分のものとすべく抜け駆けしたことが書かれている。
この本は読み手によって様々な解釈・学びがある。私は「金」「恋」「嫉妬」「死」などが、人が争うことができないもので、ときに善人を悪人に変えてしまうエネルギーがある。それも、元はお金がきっかけで忌み嫌うようになった叔父と同様のことを旧友にしてしまった先生は、人というものに対して深い嫌悪感があったに違いない。
人生で一度は読んでおくべき文学作品なので、この機会に是非。