ついに極めた身勝手の極意!そして復活のF
自分の過去から今までのnoteの文章を読むと分かるのだが、この世界の外の世界に気づく、時間を超えるというテーマが所々に散りばめられている。それは自分で考えて意図した訳ではなく、その時々に自然と心から湧き上がった、あるいは上から降りてきた内容であった。全ての記事がそうではないが、一定の間隔で該当する記事は存在している。また同じ種類の内容が書いてある本や同内容を発信している人も助けになっている。
身勝手の極意とは
今回のテーマの過去記事は以下の通り。
本当の自分はこの世界の外にいるのだという感覚がつかめた時、この世界が肉体を持って過ごす為の仮の世界だと思えた時、身勝手の極意は身につくのであった。外にいる自分から見ればこの世界は幻想の世界、バーチャルな世界、人生ゲームの世界であり、真実ではない。しかし、この世界では肉体もあるし、感情もあるので、様々な体験をする。だが、この世界が真実ではない事を実感として知っていれば、どんな危機的なことが起きてもこの世界に生きている自分は大変な思いをするかもしれないが、外からの自分の視点で俯瞰して眺めることができる。外の自分、真実の自分(トゥルーセルフ)には常に幸せが広がっており、愛に溢れている。愛、愛、愛。そして、平穏に満たされると同時に輝きも放っている。
そのことを自覚していれば自分の中のエゴとさえも互いに協力してエゴの世界を進むこともできる。エゴに呑まれずに観察者の視点からあえてエゴの世界で自覚して戦う(遊ぶ)ことができる。
タイトルの復活のFはそれを象徴している。Fはドラゴンボールのフリーザをさしている。
この感覚だったか。そう思う理由は過去にもこの感覚で生きていたことがあったと思い出したからだ。つまり過去にも身勝手の極意の状態になっていたことがあったのだ。だが、いつしか現実の世界の状況によってその状態を簡単に忘れてしまった。
アニメでもそうだが、身勝手の極意を持続させるのは難しいのだ!
だが、今回は今までと違う。過去ではよく分からずに一時的に身勝手の極意の状態になっていたが、今は意図してその状態になることができる。
そして、こうして文章として道を残しているので忘れてもまた戻ることができるだろう。
自分はこの感覚を身勝手の極意という表現で例えているだけなので、人によって様々に表現できるし、純粋にトゥルーセルフと表現しても良いと思う。ただし、この感覚になる、実感するには本人が体験するしかないだろう。自分の場合は文章だけでは伝えきれない。真髄を知るには自分で学ぶ、あるいは人から教わると同時に実際に自分が体験、実感、体感するしかない。自分は何かを教えることをしていないが、仮に本気で真髄を教えることができたとしたら、誰でも見れる無料の状態では公開しないだろう。なぜなら本気で学ぶ気がない人、あるいは分離の体験のみを望んで今世に生まれている人達は、文章の内容を勝手に自己流に解釈し、あるいは本来の意図からそれて利用、悪用することが考えられるからだ。また、表面的な部分だけをすくって誤った内容で発信する可能性もある。だから、文章を有料記事にするか有料の講座を開くだろう。あるいは有料の会員制にする。とりあえず自分は何かを教えられる状態にはないのでそういう予定はないのだが。
なぜ、このような事を言うかというと、今回の身勝手の極意の記事の構成が頭に浮かんだ時に、同時に次の内容も心の中に入ってきたからだ。
文字を持たない民族
それは文字を持たない民族、部族についてであった。どちらかというと、より小さい少数民族、部族というイメージが強かった。現在なのか過去なのかは分からない。なぜ彼らが文字を持たなかったのか。その理由の一つに文字で精神世界の奥義や秘儀、世界の仕組みを伝承しようとすると、その内容を読んだ第三者が悪用する可能性があったからだ。悪用とは2つあって、一つは本来の意図とは違う方向で世に広めること。そしてもう一つは精神性の高い、世界を良い方向に変えようとする内容を防ぐこと。自分の頭の中に浮かんだ部族の外見や雰囲気としてはアボリジニーやアメリカのインディアンが近いかもしれない。その中のシャーマンみたいな人から伝えられた感覚だった。当時の人達は悪い意図を持って接して来る人たちを悪魔だと思っていたのかもしれない。だから文書で残すと悪魔に見られてしまうから、口頭で仲間や子孫たちに代々伝えた。そして実践して見せる事で視覚的にも伝えた。それは自分の本来の感覚を取り戻し世界の真実に接する体験だったのだろう。これはあくまで自分に伝わってきた内容。実際の歴史的な事実については一切調べていない。
そしてこの感覚が伝わってきた時、その感覚は自分も分かるなぁって思った。あまりにも極端に世の中を光の世界へ導く、あるいは大々的に平和に導こうとすると、それに反発する人達が登場する。こうした人達はネガティブ系とか闇の勢力と呼ばれるに違いない。でも実際にそうした人達からネガティブなエネルギーで狙い撃ちにされることはあると思うのだよね。本当に。だから、スピリチュアルの光の部分に焦点を当てて世界を平和にするエネルギーを広める場合は慎重になる必要がある。特に個人で行う場合には。いくら最近はネガティブ系の力が弱くなりつつあると言ってもね。こうした事を書くと、まだ二極の分離を信じていると言われそうだけど、自分の経験的にも実際に起きていることだと思うのだ。そして、そうした体験をしている人も知っている。また、反対勢力と呼ばれる人達がそのように抵抗する気持ちもよく分かる。だって、その人達は今世では分離の世界の体験を求めて地球に生まれているのかもしれないし、ネガティブな体験や、どっしりとした重い物質的なエネルギーを感じられる世界(お金や物質)を体験したいのかもしれない。だからその人達から見れば、一方的に地球のエネルギーをフットワークの軽い世界に変えて、キラキラ系のフワフワ系の世界に変えられてしまっても困る!って思うのも理解できるのだよね。スピリチュアル界で有名な話では世界で144,000人がキリスト意識に目覚める、覚醒すればアセンションが起きると言われている。だから世界の全員が目覚める必要はないのかもしれない。
そう考えると、この世界はやはり二極化するのだろう(たぶん)。真実の自分に気づき世界も次元上昇していくのを望む人達が住む地球と、分離のままエネルギー的に重い世界を望む人達の地球の2つに。どのように分かれるのかは分からない。分離を望む人達が物理的な肉体から離れてネガティブな出来事の多い過去の地球に転生するのか、似たような体験の出来る他の惑星に転生するのか。もしくは地球がこのままパラレルワールドとして2つに分かれて行くのか。もっとも、どのくらいの時間をかけて進行するのかも分からない。50年以内なのか、1000年かかるのか。そして2つに分かれるとしても、その間は両方が共存する状態なのだろう。いや、もしかしてずっと共存したままという状態もあり得るのだろうか。自分には分からない。
このように秘技や叡智を誤った形で伝承しない、文書を誤用・悪用されないために文書ではなく実際に人と対面して口頭で伝えるという手段を大事にしている人達は現在でも世界に少数いるのかもしれない。そうした人達も存在した、存在していることを部族のシャーマン、あるいは酋長らしき人は自分に教えてくれたのかもしれない。
これから先は
これから先のこの幻想の世界、バーチャルの世界でどんな大変な事が起きても乗り越えられる気がする。なぜなら、身勝手の極意を思い出すことができ、復活した最強のエゴであるFも一緒にいるのだから。そのエゴにも支配されずにこの物理的な世界では様々なことを体験できるのだから。そして自分の望む世界では日本や世界の人々も、もっと人々が住みやすい世界にしよう、お金が人々にもっと循環される社会、循環の回転率が上がる社会、そして環境に配慮したエコな社会、さらには戦争が無くて病気のない世界、もしくは、そのような事が引き続き起こっても自分がこのゲームの中に参加していることを忘れずに、これはゲームなのだと覚えていながら生きていられる世界に変えていこうと望むことだろう。一時的に忘れる事があるかもしれないけど(汗)。
自分は何者?同志とは?
本題とは少し離れるが、ここまで書いてみて自分はいったい何者なのだろうかと思う事がある。きっと自分を本当に理解できる人はそれほど多くはいないのだろう。そして、自分が勝手に思っていることだが、自分が行なっている無意識的な活動、自分と似たような感覚を持つ人は世界に数えるほどしかいないのだろうと思ってしまう。自分の思う似たような人とは過去記事を参考に載せると以下の記事に登場するヒシーのような人が該当する。
ただし、自分はヒシーのように成熟した人間ではないし完全に男だし、1800年も生きられないけどね(笑)。普通の庶民だから、それなりにまだ楽しみたいこともあるし、自分はキリスト意識とかはまだいいや。密かに日常を楽しみながら生きていきますよ。
今後は仕事で忙しくなってnoteも投稿数が減るかもしれないが、何かしらの形で続けていこうと思っている。また、それによって何かしらの気づきが得られるかもしれない。合間の時間で自身の癒し、意識の高まり、不思議な世界の探索?も続けていくことだろう。