決戦! 長篠の戦い その14

前回からの続き(新田次郎の小説 武田勝頼より) 一部抜粋

 『この書状は、早馬で北陸路を通って、越中に運ばれ、更に越後の春日山城に運ばれた。
 謙信は軽い中風を患って以来、健康には特に気を付けていた。往年のように酒に浸るようなことはなかったが、年のせいか感情に激しやすく、喜怒哀楽の差がはげしかった。侍医はすべてそれを病のせいにした。
 謙信は信長から来た書状を読み終えると、信長の使者に向かって、
 「御苦労であった。返書は宿舎までとどけるから今宵はゆっくり休養するがよいぞ」
 とやさしい言葉を掛けた。
 しかしその使者が座を下がると、机上に置いた書状を見詰めながら、
 「信長という人間はどうも分からない」
 とつぶやいた。
 書状は、高天神城の急を告げ、勝頼の野望を破砕するために、共同作戦を取ることを希望したものだった。
 信長自身は総力を挙げて高天神城救援におもねく心算(つもり)だから、謙信も、信濃か上野に兵を入れてくれと書いてあった。文章はすこぶる丁寧なものであった。
 書状は謙信の手から側近の手に渡った。お前たちも、この手紙に対して、どう答えるべきかを考えて置けと言い置いて、謙信は自室に入って行った。午睡の時間だった。
 それも侍医から強くすすめられたものであった。謙信が午睡から覚めたころ、もう一人の客が待っていた。客と言うには当たらない人物だけれども、側近のものは、怪しき者とも言えず、一応客として、その者のことを謙信に伝えた。
 「妙心寺派の若い僧で鉄以(てつい)と申すもの、もと鉄砲商人の山本勘介のせがれだと申しております。お館様に直接会って、申し上げたき儀があって参りましたと申しております」
 いかが致しましょうかという家来に、謙信は、
 「鉄砲商人の山本勘助のせがれと申しているのか・・・・」
 謙信は遠い日のことを思い出すように眼を閉じた。天文二十年(1551年)ころのことが思い出される。たしかに鉄砲商人の山本勘介が、親しく春日山城に出入りしておった。四角い顔の面白い男だったという思いが先に立って、その後、山本勘助がどうなったのかは忘れていた。
 「直江景綱をこれへ」
 と言った。あるいは山本勘助のことをよく覚えているかもしれないと思って呼んだのである。
 「山本勘介なら、私より父実綱のほうがよく存じておりました。山本勘助は駿河の男でこの城には鉄砲商人として出入りしておりましたが、その後、武田信玄に仕えて、諸国御使者衆の一人として活躍しておりましたが、川中島の戦いで戦死したと聞いております」
 景綱は頭脳明晰な男だった。一度聞いたことはどんなことでも覚えていた。
 「その勘助の子が余に会いたいと言って来ておるのだ」
  謙信はどうしたらよいかなという顔で景綱を見た。
 「勘助の子というならば、おそらくは、武田勝頼の使者でありましょう。とにかくお会いになってみたら如何(いかが)でしょうか」
 勘助の子という僧に景綱自身が会いたくなった。
 僧、鉄以は謙信の前に出たが、特に緊張した様子もなく、さりとて、傲慢な風も見せなかった。彼は静かに物を言った。
 「かつて父勘助がお引き立てを受けましたことを心から感謝しております。今度お目通りを許されたのも、今は亡き父の導きかとも考えております」
 鉄以の挨拶は折目正しかった。謙信が、その当時のことをいろいろと尋ねると、父から聞いたこととして、断片的ではあったが、かなりよく知っていて答えた。
 「して、用向きは」
 直江景綱が問うと、鉄以はふところから勝頼の書状を出して、
 「この書状をお館様に直接にお渡し申し上げたうえ、御下問があればなんなりと答えよと申されて参りました」
 と言った。
 勝頼の書状には父信玄以来の越後との確執についてちょっと触れた後で、
 「天下は父信玄の存命のころとは急速に変わりつつあります。私は新しい時代には新しい考え方で行きたいと思っております」
 と、新しい武田の統領としての姿勢を示した後で、織田信長の非行を、きびしい筆調で羅列した末に、
 「このまま放って置けば、わが国は通常の人ではない信長の統(すべ)るところとなることは火を見るより明らかなことです。これも日本の将来にとってきわめて危険なことです」
 織田信長が非常識なことを平気でやる武将であることを強調したあとで、
 「もし、貴台がわが国の将来のことを考えられるならば、織田信長とのやりとりも充分御用心なされることこそ肝要と思い、かねて貴台に御面識のあった山本勘助の子、鉄以をさしむけたる次第でございます。よろしく勝頼の胸中をお察し下されたく願いあげます」
 と結んであった。
 「通常(なみ)の人でない信長という言葉についてもっと具体例を上げて、説明してみよ」
 と謙信が鉄以に言った。
 鉄以は今年の一月元旦に岐阜城内で行われた新年宴会の席上、信長がなにをしたかを、力をこめて語った。
 「織田殿は、去年の夏戦士した、朝倉義景の首、浅井久政、浅井長政父子の首を髑髏(どくろ)として持ち来り、これに漆を塗って磨き上げ、更にその上に金粉を塗りつけて、黄金色の髑髏に仕立て上げ、それぞれを膳部の上に飾り立て、諸将に、余はこの上なき酒の肴をしつらえたりと申したのでございます」
 謙信にとってその話は初耳だった。まさかと思った。まさか信長がそんなことをと思いながら、側近の景綱に眼で問うた。
 「その話は越前方面から越中方面にまで聞こえております。織田殿は、その髑髏を持って自ら舞ったという噂もあります」
 直江景綱は鉄以の話に裏付けをした。鉄以はそれに力を得て更につけ加えた。
 「死せば敵も味方もございません。死者にまで、そのような侮辱を行うは、通常(なみ)の人間だとは思われません。即ち狂人というべきでしょう」
 謙信の前で、信長を狂人と言い切った鉄以の眼は澄んでいた。特に言葉を飾ったのでも誇張したふうもなかった。平然として言い切り、驚いている謙信に対して、
 「織田殿が通常(なみ)の人ではない証拠はまだございます。つい三月の十七日のことでございます。織田殿は兵三千を率いて、京都に乗りこみ、天皇に対し奉り、正倉院の御物、蘭奢待(らんじゃたい)を要求されました。武力を以て天下の名香、東大寺蘭奢待を割愛せよと迫ったものは未だかつて、わが国の歴史にはございません」
 「なんと、信長が東大寺の蘭奢待を要求したとな、してその結果は」
 「三月二十八日に正倉院の御蔵が開かれ、六尺の長持から取り出されましたる蘭奢待は、古式により一寸八分切り落とされて、織田殿の拝領するところとなりました」
 謙信の顔に朱が走った。午睡して静かなおだやかだった顔が、次第に紅潮して眉間のあたりに青筋が見えた。それでも謙信は激情を懸命に押さえつけていた。口から出そうになる決定的な言葉を言うまい、言うまいと努力して押さえているようだった。
 謙信は天皇に対して古武士的敬虔(けいけん)さをもっていた。彼が朝廷に献じた黄金の量はそのまま彼の天皇に対する忠節の表現であった。東大寺蘭奢待のこともよく知っていた。それは日本歴史の中の夢物語のような存在であった。その蘭奢待を信長が武力を背景に強要したということは許すことのできないことだった。
 謙信は怒りで全身を震わせた。ものを言おうとしたが言葉が出なかった。
 「鉄以とやら、追って沙汰のあるまで休養するがいい」
 謙信に代わって、直江景綱が言った。侍医が謙信の傍らに駆けつけた。鉄以は勝頼の使者として役目を充分に果たした。謙信はこの時以来、織田信長に対する考えを一新した。信長に嫌気がさしたのである。 

その15へ続く 

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